ふるさと
島崎藤村

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)父《とう》さんが

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)十三|歳《さい》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「木+鼠」、第4水準2−15−57]《ねず》

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いろ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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   はしがき

父《とう》さんが遠《とほ》い外國《ぐわいこく》の方《はう》から歸《かへ》つた時《とき》、太郎《たらう》や次郎《じらう》への土産話《みやげばなし》にと思《おも》ひまして、いろ/\な旅《たび》のお話《はなし》をまとめたのが、父《とう》さんの『幼《をさな》きものに』でした。あの時《とき》、太郎《たらう》はやうやく十三|歳《さい》、次郎《じらう》は十一|歳《さい》でした。
早いものですね。あの本《ほん》を作《つく》つた時《とき》から、もう三|年《ねん》の月日《つきひ》がたちます。太郎《たらう》は十六|歳《さい》、次郎《じらう》は十四|歳《さい》にもなります。父《とう》さんの家《うち》には、今《いま》、太郎《たらう》に、次郎《じらう》に、末子《すゑこ》の三|人《にん》が居《ゐ》ます。末子《すゑこ》は母《かあ》さんが亡《な》くなると間《ま》もなく常陸《ひたち》の方《はう》の乳母《うば》の家《うち》に預《あづ》けられて、七|年《ねん》もその乳母《うば》のところに居《ゐ》ましたが、今《いま》では父《とう》さんの家《うち》の方《はう》へ歸《かへ》つて來《き》て居《ゐ》ます。三郎《さぶらう》はもう長《なが》いこと信州《しんしう》木曾《きそ》の小父《をぢ》さんの家《うち》に養《やしな》はれて居《ゐ》まして、兄《あに》の太郎《たらう》や次郎《じらう》のところへ時々《とき/″\》お手紙《てがみ》なぞをよこすやうになりました。三郎《さぶらう》はことし十三|歳《さい》、末子《すゑこ》がもう十一|歳《さい》にもなりますよ。
父《とう》さんの家《うち》ではよく三郎《さぶらう》の噂《うはさ》をします。三郎《さぶらう》が居《ゐ》る木曾《きそ》の方《はう》の話《はなし》もよく出《で》ます。あの木曾《きそ》の山《やま》の中《なか》が父《とう》さんの生《うま》れたところなんですから。
人《ひと》はいくつに成《な》つても子供《こども》の時分《じぶん》に食《た》べた物《もの》の味《あぢ》を忘《わす》れないやうに、自分《じぶん》の生《うま》れた土地《とち》のことを忘《わす》れないものでね。假令《たとへ》その土地《とち》が、どんな山《やま》の中《なか》でありましても、そこで今度《こんど》、父《とう》さんは自分《じぶん》の幼少《ちひさ》い時分《じぶん》のことや、その子供《こども》の時分《じぶん》に遊《あそ》び廻《まは》つた山《やま》や林《はやし》のお話《はなし》を一|册《さつ》の小《ちひ》さな本《ほん》に[#「に」は底本では「こ」]作《つく》らうと思《おも》ひ立《た》ちました。あの『幼《をさな》きものに』と同《おな》じやうに、今度《こんど》の本《ほん》も太郎《たらう》や次郎《じらう》などに話《はな》し聞《き》かせるつもりで書《か》きました。それがこの『ふるさと』です。
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   一 雀《すずめ》のおやど

みんなお出《いで》。お話《はなし》しませう。先《ま》づ雀《すずめ》のおやどから始《はじ》めませう。
雀《すずめ》、雀《すずめ》、おやどはどこだ。
雀《すずめ》のお家《うち》は林《はやし》の奧《おく》の竹《たけ》やぶにありました。この雀《すずめ》には父《とう》さまも母《かあ》さまもありました。樂《たの》しいお家《うち》の前《まへ》は竹《たけ》ばかりで、青《あを》いまつすぐな竹《たけ》が澤山《たくさん》に竝《なら》んで生《は》えて居《ゐ》ました。雀《すずめ》は毎日《まいにち》のやうに竹《たけ》やぶに出《で》て遊《あそ》びましたが、その竹《たけ》の間《あひだ》から見《み》ると、樂《たの》しいお家《うち》がよけいに樂《たの》しく見《み》えました。
そのうちに、雀《すずめ》の好《す》きなお家《うち》の前《まへ》には竹《たけ》の子《こ》が生《は》えて來《き》ました。母《かあ》さまのお洗濯《せんたく》する方《はう》へ行《い》つて見《み》ますと、そこにも竹《たけ》の子《こ》が出《で》て來《き》てゐました。
『あそこにも竹《たけ》の子《こ》。ここにも竹《たけ》の子《こ》。』
と雀《すずめ》はチユウチユウ鳴《な》きながら、竹《たけ》の子《こ》のまはりを悦《よろこ》んで踊《をど》つて歩《ある》きました。
僅《わづ》か一晩《ひとばん》ばかりのうちに竹《たけ》の子《こ》はずんずん大《おほ》きくなりました。雀《すずめ》が寢《ね》て起《お》きて、また竹《たけ》やぶへ遊《あそ》びに行《い》きますと、きのふまで見《み》えなかつたところに新《あたら》しい竹《たけ》の子《こ》が出《で》て來《き》たのがあります。きのふまで小《ちひ》さな竹《たけ》の子《こ》だと思《おも》つたのが、僅《わづ》か一晩《ひとばん》ばかりで、びつくりするほど大《おほ》きくなつたのがあります。
雀《すずめ》はおどろいて、母《かあ》さまのところへ飛《と》んで行《い》きました。母《かあ》さまにその話《はなし》をして、どうしてあの小《ちひ》さな竹《たけ》の子《こ》があんなに急《きふ》に大《おほ》きくなつたのでせうと尋《たづ》ねました。すると母《かあ》さまは可愛《かあい》い雀《すずめ》を抱《だ》きまして、
『お前《まへ》は初《はじ》めて知《し》つたのかい、それが皆《みな》さんのよく言《い》ふ「いのち」(生命)といふものですよ。お前《まへ》たちが大《おほ》きくなるのもみんなその力《ちから》なんですよ。』
と話《はな》してきかせました。

   二 五木《ごぼく》の林《はやし》  

太郎《たらう》よ、次郎《じらう》よ、お前達《まへたち》は父《とう》さんの生《うま》れた山地《やまち》の方《はう》のお話《はなし》を聞きたいと思《おも》ひますか。
檜木《ひのき》、椹《さはら》、明檜《あすひ》、槇《まき》、※[#「木+鼠」、第4水準2−15−57]《ねず》――それを木曾《きそ》の方《はう》では五木《ごぼく》といひまして、さういふ木《き》の生《は》えた森《もり》や林《はやし》があの深《ふか》い谷間《たにあひ》に茂《しげ》つて居《ゐ》るのです。五木《ごぼく》とは、五《いつ》つの主《おも》な木《き》を指《さ》して言《い》ふのですが、まだその他《ほか》に栗《くり》の木《き》、杉《すぎ》の木《き》、松《まつ》の木《き》、桂《かつら》の木《き》、欅《けやき》の木《き》なぞが生《は》えて居《ゐ》ます。樅《もみ》の木《き》、栂《つげ》の木《き》も生《は》えて居《ゐ》ます。それから栃《とち》の木《き》も生《は》えて居《ゐ》ます。太郎《たらう》や次郎《じらう》は一|度《ど》父《とう》さんに隨《つ》いて、三郎《さぶらう》の居《ゐ》る木曾《きそ》の小父《をぢ》さんの家《うち》を訪《たづ》ねたことが有《あ》りましたらう。あの小父《をぢ》さんの家《うち》の前《まへ》から、木曽川《きそがは》の流《なが》れるところを見《み》て來《き》ましたらう。小父《をじ》さんの家《うち》のある木曾福島町《きそふくしままち》は御嶽山《おんたけさん》に近《ちか》いところですが、あれから木曽川《きそがは》について十|里《り》ばかりも川下《かはしも》に神坂村《みさかむら》といふ村《むら》があります。それが父《とう》さんの生《うま》れた村《むら》です。

   三 山《やま》の中《なか》へ來《く》るお正月《しやうぐわつ》

父《とう》さんも昔《むかし》はお前達《まへたち》と同《おな》じやうに、お正月《しやうぐわつ》の來《く》るのを樂《たのし》みにした子供《こども》でしたよ。
お正月《しやうぐわつ》が來《く》る時分《じぶん》になると、父《とう》さんの生《うま》れたお家《うち》では自分《じぶん》のところでお餅《もち》をつきました。そのお餅《もち》は爐邊《ろばた》につゞいた庭《には》でつきましたから、そこへ爺《ぢい》やが小屋《こや》から杵《きね》をかついで來《き》ました。臼《うす》もころがして來《き》ました。お餅《もち》にするお米《こめ》は裏口《うらぐち》の竈《かまど》で蒸《む》しましたから、そこへも手傳《てつだ》ひのお婆《ばあ》さんが來《き》て樂《たの》しい火《ひ》を焚《た》きました。
やがて蒸籠《せいろ》といふものに入《い》れて蒸《む》したお米《こめ》がやはらかくなりますとお婆《ばあ》さんがそれを臼《うす》の中《なか》へうつします。爺《ぢい》やは杵《きね》でもつて、それをつき始《はじ》めます。だんだんお米《こめ》がねばつて來《き》て、お餅《もち》が臼《うす》の中《なか》から生《うま》れて來《き》ます。爺《ぢい》やは力《ちから》一ぱい杵《きね》を振《ふ》り上《あ》げて、それを打《う》ちおろす度《たび》に、臼《うす》の中《なか》のお餅《もち》には大《おほ》きな穴《あな》があきました。お婆《ばあ》さんはまた腰《こし》を振《ふ》りながら、爺《ぢい》やが杵《きね》を振《ふ》り上《あ》げた時《とき》を見計《みはか》つては穴《あな》のあいたお餅《もち》をこねました。
『べつたらこ。べつたらこ。』
その餅《もち》つきの音《おと》を聞《き》くと、父《とう》さんは子供心《こどもごゝころ》にもお正月《しやうぐわつ》が山《やま》の中《なか》のお家《うち》へ來《く》ることを知《し》りました。

   四 子供《こども》の時分《じぶん》

これから父《とう》さんはお前達《まへたち》に、自分《じぶん》の子供《こども》の時分《じぶん》のことをお話《はなし》[#ルビの「はなし」は底本では「はな」]しようと思《おも》ひます。
父《とう》さんの幼少《ちひさ》な時分《じぶん》には、今《いま》のやうに少年《せうねん》の雜誌《ざつし》といふものも有《あ》りませんでした。お前達《まへたち》のやうに面白《おもしろ》いお伽噺《とぎばなし》の本《ほん》や、可愛《かあ》いらしい繪《ゑ》のついた雜誌《ざつし》なぞを讀《よ》むことも出來《でき》ませんでした。讀《よ》んで見《み》たくも、なんにもさういふお伽噺《とぎばなし》の本《ほん》や雜誌《ざつし》が無《な》いんでせう、おまけに、父《とう》さんの生《うま》れたところは山《やま》の中《なか》の田舍《ゐなか》でせう、そのかはり、幼少《ちひさ》な時分《じぶん》の父《とう》さんには、見《み》るもの聞《き》くものがみんなお伽噺《とぎばなし》でした。

   五 荷物《にもつ》を運《はこ》ぶ馬《うま》

『もし/\、お前《まへ》さんは今《いま》歸《かへ》るところですか。』
父《とう》さんがお家《うち》の門《もん》の外《そと》に出《で》て見《み》ますと馬《うま》が近所《きんじよ》の馬方《うまかた》に引《ひ》かれて父《とう》さんの見《み》て居《ゐ》る前《まへ》を通《とほ》ります。この馬《うま》は夕方《ゆふがた》になると、きつと歸《かへ》つて來《く》るのです。
『さうです。今日《けふ》は荷物《にもつ》をつけて隣《となり》の村《むら》まで行《い》つて來《き》ました。』
とその馬《うま》が父《とう》さんに言《い》ひました。
『お前《まへ》さんの首《くび》には好《い》い音《おと》のする鈴《すゞ》がついて居《ゐ》ますね。』
と父《とう》さんが言《いひ》ますと、馬《うま》は首《くび》をふりながら、
『えゝ。私《わたし》が歩《ある》く度《たび》にこの鈴《すゞ》が鳴《な》ります。私《わたし》はこの鈴《すゞ》の音《おと》を聞《き》き乍《なが》らお家《うち》の方《はう》へ歸《かへ》つてまゐります。馬《うま》も荷物《にも
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