」は底本では「榎木」]の名所《めいしよ》ですから、あの木《き》を薄《うす》い板《いた》に削《けづ》りまして、笠《かさ》に編《あ》んで冠《かぶ》ります。その笠《かさ》の新《あたら》しいのは、好《い》い檜木《ひのき》の香氣《にほひ》がします。木曾《きそ》の檜木《ひのき》は[#「は」は底本では「を」]材木《ざいもく》として立派《りつぱ》なばかりでなく、赤味《あかみ》のある厚《あつ》い木《き》の皮《かは》は屋根板《やねいた》の代《かは》りにもなります。まあ、あの一ト擁《かゝ》へも二擁《ふたかゝ》へもあるやうな檜木《ひのき》の側《そば》へ、お前達《まへたち》を連《つ》れて行《い》つて見《み》せたい。

   二六 ふるさとの言葉《ことば》

山《やま》や林《はやし》は父《とう》さんのふるさとですと、お前達《まへたち》にお話《はなし》しましたらう。山《やま》や林《はやし》ばかりでなく、言葉《ことば》も父《とう》さんのふるさとです。邊鄙《へんぴ》な山《やま》の中《なか》の村《むら》ですから、言葉《ことば》のなまりも鄙《ひな》びては居《ゐ》ますが、人《ひと》の名前《なまへ》の呼《よ》び方《かた》からして馬籠《まごめ》は馬籠《まごめ》らしいところが有《あ》ります。たとへば、末子《すゑこ》のやうなちひさな女《をんな》の子《こ》を呼《よ》ぶにも、
『末《すゑ》さま。』
と言《い》つたり、もつと親《した》しい間柄《あひだがら》で呼《よ》ぶ時《とき》には、
『末《すゑ》さ』
と言《い》つたりしまして、鄙《ひな》びた言葉《ことば》の中《なか》にも何處《どこ》か優《やさ》しいところが無《な》いでもありません。
父《とう》さんの田舍《ゐなか》には『どうねき』などといふ言葉《ことば》もあります。もう仕末《しまつ》におへないやうな人《ひと》のことを『どうねき』と言《い》ひます。こんな言葉《ことば》は木曾《きそ》にだけ有《あ》つて、他《ほか》の土地《とち》には無《な》いのだらうかと思《おも》ひます。それから、『わやく』といふやうな言葉《ことば》もあります。『いたずらな子供《こども》』といふところを『わやくな子供《こども》』などゝ言《い》ひます。
ふるさとの言葉《ことば》はこひしい。それを聞《き》くと、父《とう》さんは自分《じぶん》の子供《こども》の時分《じぶん》に歸《かへ》つて行《ゆ》くやうな氣《き》がします。お前達《まへたち》の祖父《おぢい》さんでも、祖母《おばあ》さんでも、みんなその言葉《ことば》の中《なか》に生《い》きていらつしやるやうな氣《き》がします。

   二七 お百姓《ひやくしやう》の苗字《めうじ》

父《とう》さんの田舍《ゐなか》の方《はう》には働《はたら》くことの好《す》きなお百姓《ひやくしやう》が住《す》んで居《ゐ》ます。今《いま》でこそあの人達《ひとたち》に苗字《めうじ》の無《な》い人《ひと》はありませんが、昔《むかし》は庄吉《しやうきち》とか、春吉《はるきち》とかの名前《なまへ》ばかりで、苗字《めうじ》の無《な》い人達《ひとたち》が澤山《たくさん》あつたさうです。明治《めいぢ》のはじめを御維新《ごゐつしん》の時《とき》と言《い》ひまして、あの御維新《ごゐつしん》の時《とき》から、どんなお百姓《ひやくしやう》でも立派《りつぱ》な苗字《めうじ》をつけることに成《な》つたさうです。
父《とう》さんのお家《うち》にも出入《でいり》のお百姓《ひやくしやう》がありまして、お餅《もち》をつくとか、お茶《ちや》をつくるとかいふ日《ひ》には、屹度《きつと》お手傳《てつだ》ひに來《き》て呉《く》れました。あの人達《ひとたち》はお前達《まへたち》の祖父《おぢい》さんのことを『お師匠《ししやう》さま、お師匠《ししやう》さま』と呼《よ》んで居《ゐ》ました。あの人達《ひとたち》が苗字《めうじ》をつける時《とき》のことを今《いま》から思《おも》ひますと、
『お師匠《ししやう》さま、孫子《まごこ》に傳《つた》はることでございますから、どうかまあ私共《わたしども》にも好《よ》ささうな苗字《めうじ》を一つお願《ねが》ひ申《まを》します。』
斯《か》うもあつたらうかと思《おも》ひます。そして、大脇《おほわき》[#ルビの「おほわき」は底本では「おはわき」]の脇《わき》の字《じ》を分《わ》けて貰《もら》ふとか、蜂谷《はちや》の谷《や》の字《じ》を分《わ》けて貰《もら》ふとかして、いろ/\な苗字《めうじ》が村《むら》にふえて行《い》つたらうかと思《おも》ひます。

   二八 狐《きつね》の身上話《みのうへばなし》

お稻荷《いなり》さまは五穀《ごこく》の神《かみ》を祀《まつ》つたものですとか。五穀《ごこく》とは何《なん》と何《なん》でせう。米《こめ》に、麥《むぎ》に、粟《あは》に、黍《きび》に、それから豆《まめ》です。粟《あは》は粟餅《あはもち》の粟《あは》、黍《きび》はお前達《まへたち》のお馴染《なじみ》な桃太郎《もゝたらう》が腰《こし》にさげて居《ゐ》る黍團子《きびだんご》の黍《きび》です。父《とう》さんのお家《うち》の裏《うら》にも、斯《こ》のお百姓《ひやくしやう》の神樣《かみさま》が祀《まつ》つてありました。赤《あか》い鳥居《とりゐ》の奧《おく》にある小《ちひ》さな社《やしろ》がそれです。二|月《ぐわつ》初午《はつうま》の日《ひ》には、お家《うち》の爺《ぢい》やが大《おほ》きな太鼓《たいこ》を持出《もちだ》して、その社《やしろ》の側《わき》の櫻《さくら》の枝《えだ》の木《き》に掛《か》けますと、そこへ近所《きんじよ》の子供《こども》が集《あつ》まりました。父《とう》さんもその太鼓《たいこ》を叩《たゝ》くのを樂《たのし》みにしたものです。
お前達《まへたち》はあの繪馬《ゑま》を知《し》つて居《ゐ》ますか。馬《うま》の繪《ゑ》をかいた小《ちひ》さな額《がく》が諸方《はう/″\》の社《やしろ》に掛《か》けてあるのを知《し》つて居《ゐ》ますか。あの額《がく》の中《なか》には『奉納《ほうなふ》』といふ文字《もじ》と、それを進《あ》げた人《ひと》の生《うま》れた年《とし》なぞが書《か》いてあるのに氣《き》がつきましたか。父《とう》さんのお家《うち》の裏《うら》に祀《まつ》つてあるお稻荷《いなり》さまの社《やしろ》にも、あの繪馬《ゑま》がいくつも掛《かゝ》つて居《ゐ》ました。それから、白《しろ》い狐《きつね》の姿《すがた》をあらはした置物《おきもの》も置《お》いてありました。その白狐《しろぎつね》はあたりまへの狐《きつね》でなくて、寶珠《はうじゆ》の玉《たま》を口《くち》にくはへて居《ゐ》ました。
『お前《まへ》さんがお稻荷《いなり》さまですか。』
と父《とう》さんがその狐《きつね》にきいて見《み》ました。さうしましたら白狐《しろぎつね》の答《こた》へるには、
『どうしまして。私《わたし》はお稻荷《いなり》さまの使《つか》ひですよ。この社《やしろ》の番人《ばんにん》ですよ。私《わたし》もこれで若《わか》い時分《じぶん》には隨分《ずゐぶん》いたずらな狐《きつね》でして、諸方《はう/″\》の畠《はたけ》を荒《あら》しました。一|體《たい》、私《わたし》の幼少《ちひさ》な時分《じぶん》には、ごく弱《よわ》かつたものですから、この白狐《しろぎつね》はこれでも育《そだ》つかしら、と皆《みんな》に言《い》はれたくらゐださうです。その私《わたし》を可哀《かあい》さうに思《おも》つて、親狐《おやぎつね》は私《わたし》の言《い》ふなりに育《そだ》てゝ呉《く》れましたとか。私《わたし》は他《ひと》の言《い》ふことなぞを聞《き》かないで、自分《じぶん》のしたい事《こと》をしました。鷄《にはとり》が食《た》べたければ、鷄《にはとり》を盜《ぬす》んで來《き》ました。そんな眞似《まね》をして、もう我儘《わたまゝ》一《いつ》ぱいに振舞《ふるま》つて居《を》りますうちに、だん/″\私《わたし》は[#「は」は底本では「ば」]獨《ひと》りぼつちに成《な》つてしまひました。誰《たれ》も私《わたし》とは交際《つきあ》はなくなりました。私《わたし》の眼《め》が覺《さ》める時分《じぶん》には、誰《だれ》も私《わたし》の言《い》ふことを本當《ほんたう》にして呉《く》れる者《もの》はありませんでした。御覽《ごらん》の通《とほ》り、私《わたし》は今《いま》、お稻荷《いなり》さまの社《やしろ》の番人《ばんにん》をして居《ゐ》ます。私《わたし》のやうな狐《きつね》でも生《うま》れ變《かは》つたやうになれば、斯《か》うして社《やしろ》の番人《ばんにん》をさせて頂《いたゞ》けるのです。私《わたし》がもう若《わか》い時分《じぶん》のやうな惡戯《いたづら》な狐《きつね》でない證據《しようこ》には、この私《わたし》の口《くち》を御覽《ごらん》になつても分ります。私《わたし》がお稻荷《いなり》さまのお使《つか》ひをして歩《ある》く度《たび》に、この口《くち》にくはへて居《ゐ》る寶珠《はうじゆ》の玉《たま》が光《ひか》ります。』
とさう申《まを》しました。

   二九 生徒《せいと》さん、今日《こんにち》は

村《むら》の學校《がくかう》の生徒《せいと》が石垣《いしがき》の間《あひだ》の細《ほそ》い道《みち》を歸《かへ》つて來《き》ますと、こちらの石垣《いしがき》から向《むか》ふの石垣《いしがき》の方《はう》へ通《とほ》りぬけようとする鼠《ねずみ》がありました。丁度《ちやうど》、村《むら》では惡戯《いたづら》をした鼠《ねずみ》の噂《うはさ》が傳《つた》はつて居《ゐ》る頃《ころ》でした。いかにそゝツかしい山家《やまが》の鼠《ねずみ》でも、そこに寢《ね》て居《ゐ》る女《をんな》の人《ひと》の鼻《はな》を間違《まちが》へて、お芋《いも》かなんかのやうに食《た》べようとしたなんて、そんなことはめつたに聞《き》かない惡戯《いたづら》ですから。
學校《がくかう》の生徒《せいと》に逢《あ》つた鼠《ねずみ》は賢《かしこ》い鼠《ねずみ》でした。他所《よそ》の鼠《ねずみ》の惡戯《いたづら》から、自分《じぶん》までその仕返《しかへ》しをされては堪《たま》らないと思《おも》ひましたから、先《ま》づ自分《じぶん》の鼻《はな》を大事《だいじ》[#ルビの「だいじ」は底本では「なだいじ」]さうにおさへて居《ゐ》まして、それから斯《か》う挨拶《あいさつ》しました。
『生徒《せいと》さん、今日《こんにち》は。』

   三○ 黒《くろ》い蝶蝶《てふてふ》

ある日《ひ》のことでした。父《とう》さんはお家《うち》の裏木戸《うらきど》の外《そと》をさん/″\遊《あそ》び廻《まは》りまして、木戸《きど》のところまで歸《かへ》つて來《き》ますと、高《たか》い枳殼《からたち》の木《き》の上《うへ》の方《はう》に卵《たまご》でも産《う》みつけようとして居《ゐ》るやうな大《おほ》きな黒《くろ》い蝶々《てふ/\》を見《み》つけました。
いろ/\な可愛《かあい》らしい蝶々《てふ/\》も澤山《たくさん》ある中《なか》で、あの大《おほ》きな黒《くろ》い蝶々《てふ/\》ばかりは氣味《きみ》の惡《わる》いものです。あれは毛蟲《けむし》の蝶々《てふ/\》だと言《い》ひます。何《なん》の氣《き》なしに父《とう》さんはその蝶々《てふ/\》を打《う》ち落《おと》すつもりで、木戸《きど》の内《うち》の方《はう》から長《なが》い竹竿《たけざを》を探《さが》して來《き》ました。ほら、枳殼《からたち》といふやつは、あの通《とほ》りトゲの出《で》た、枝《えだ》の込《こ》んだ木《き》でせう。父《とう》さんが蝶々《てふ/\》をめがけて竹竿《たけざを》を振《ふ》る度《たび》に、それが枳殼《からたち》の枝《えだ》を打《う》つて、青《あを》い葉《は》がバラ/\落《お》ちました。
そのうちに蝶々《てふ/\》は父《とう》さんの竹竿《たけざを》になやまされて、手傷《てきず》を負《お》つたやうでしたが、まだそれでも逃《に》げて行
前へ 次へ
全18ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング