て、この手造《てづく》りにしたものゝ樂《たのし》みを父《とう》さんに教《をし》へて呉《く》れたのは、祖母《おばあ》さんでした。
祖母《おばあ》さんは働《はたら》くことが好《す》きで、みんなの先《さき》に立《た》つてお茶《ちや》もつくりましたし、着物《きもの》も根氣《こんき》に織《お》りました。祖母《おばあ》さんは隣村《となりむら》の妻籠《つまかご》といふところから、父《とう》さんのお家《うち》へお嫁《よめ》に來《き》た人《ひと》で、曾祖母《ひいおばあ》[#「ひいおばあ」は底本では「ひいおば」]さんほどの學問《がくもん》は無《な》いと言《い》ひましたが、でもみんなに好《す》かれました。林檎《りんご》のやうに紅《あか》い祖母《おばあ》さんの頬《ほゝ》ぺたは、家中《いへぢう》のものゝ心《こゝろ》をあたゝめました。
祖母《おばあ》さんの着物《きもの》を織《お》る塲所《ばしよ》はお家《うち》の玄關《げんくわん》の側《そば》の板《いた》の間《ま》と定《きま》つて居《ゐ》ました。そのお庭《には》の見《み》える明《あか》るい障子《しやうじ》の側《そば》に祖母《おばあ》さんの腰掛《こしかけ》て織《お》る機《はた》が置《お》いてありました。
『トン/\ハタリ、トンハタリ。』祖母《おばあ》さんの筬《をさ》が動《うご》く度《たび》に、さういふ音《おと》が聞《き》こえて來《き》ます。父《とう》さんが玄關《げんくわん》の廣《ひろ》い板《いた》の間《ま》に居《ゐ》て、その筬《をさ》の音《おと》を聞《き》きながら遊《あそ》んで居《を》りますと、そこへもよくめづらしいもの好《ず》きの雀《すずめ》が覗《のぞ》きに來《き》ました。
一六 梨《なし》や柿《かき》はお友達《ともだち》
父《とう》さんのお家《うち》の庭《には》にはいろ/\な木《き》が植《うゑ》てありました。父《とう》さんはその木《き》を自分《じぶん》のお友達《ともだち》のやうに想《おも》つて大《おほ》きくなりました。お前達《まへたち》の祖父《おぢい》さんのお部屋《へや》の前《まへ》にあつた古《ふる》い大《おほ》きな松《まつ》の樹《き》も、表《おもて》の庭《には》にあつた椿《つばき》の木《き》もみんな父《とう》さんのお友達《ともだち》でした。その椿《つばき》の木《き》の側《そば》には梨《なし》の木《き》もあつて、毎年《まいねん》大《おほ》きな梨《なし》がなりました。
あの青《あを》い梨《なし》の實《み》のなつた樹《き》の下《した》へは父《とう》さんもよく見《み》に行《い》[#ルビの「い」は底本では「ゆ」]つたものです。
『もう食《た》べてもいゝかい。』
と父さんが梨《なし》の木《き》に聞《き》きに行《ゆ》きますと
『まだ早《はや》い、まだ早《はや》い。』
と梨《なし》の木《き》は言《い》つて、なか/\食《た》べてもいゝとは言《い》ひませんでした。そして、その梨《なし》の實《み》が大《おほ》きくなつて、色《いろ》のつく時分《じぶん》には、丁度《ちやうど》御祝言《ごしふげん》の晩《ばん》の花嫁《はなよめ》さんのやうに、白《しろ》い紙袋《かみぶくろ》をかぶつて了《しま》ひました。これは蜂《はち》が來《き》て梨《なし》をたべるものですから、蜂《はち》をよけるために紙袋《かみぶくろ》をかぶせるのです。お勝手《かつて》の横《よこ》には祖父《おぢい》さんの植《う》ゑた桐《きり》の木《き》がありました。その桐《きり》の木《き》の下《した》は一|面《めん》に桑畑《くはばたけ》でした。お隣《となり》の高《たか》い石垣《いしがき》や白《しろ》い壁《かべ》なぞがそこへ行《ゆ》くとよく見《み》えました。桑《くは》の實《み》の生《な》る時分《じぶん》には父《とう》さんは桑《くは》の木《き》の側《そば》へ行《い》つて
『食《た》べてもいゝかい。』
とたづねますと、桑《くは》の木《き》は見《み》かけによらない優《やさ》しい木《き》でした。
『あゝ、いゝとも。いゝとも。』
と言《い》つて呉《く》れました。父《とう》さんはうれしくて、あの桑《くは》の木《き》に生《な》る紫色《むらさきいろ》の可愛《かあい》い小《ちひ》さな實《み》を枝《えだ》からちぎつて口《くち》に入《い》れました。
土藏《どざう》の前《まへ》には、柿《かき》の木《き》もありました。父《とう》さんはよくその柿《かき》の木《き》の下《した》へ行《い》つて遊《あそ》びました。柿《かき》の木《き》はまた梨《なし》や桐《きり》の木《き》とちがつて、にぎやかな木《き》で、父《とう》さんが遊《あそ》びに行《ゆ》く度《たび》に何《なに》かしら集《あつ》めたいやうなものが木《き》の下《した》に落《お》ちて居《ゐ》ました。柿《かき》の花《はな》の咲《さ》く時分《じぶん》に行《ゆ》くと、あの甘《あま》い香《にほ》ひのする小《ちひ》さな花《はな》が一ぱい落《お》ちて居《ゐ》ます。實《み》の生《な》る時分《じぶん》に行《ゆ》くと、あの蔕《へた》のついた青《あを》い小《ちひ》さな柿《かき》が澤山《たくさん》落《お》ちて居《ゐ》ます。そろ/\木《き》の葉《は》の落《お》ちる時分《じぶん》に行《ゆ》くと大《おほ》きな色《いろ》のついた柿《かき》の葉《は》がそこにもこゝにも落《お》ちて居《ゐ》ます。父《とう》さんはそれを拾集《ひろひあつ》めるのが樂《たのし》みでした。それに他《ほか》のお家《うち》の柿《かき》の木《き》へは登《のぼ》らうと思《おも》つても登《のぼ》れませんでしたが、自分《じぶん》のお家《うち》の柿《かき》の木《き》ばかりは惡《わる》い顏《かほ》もせずに登《のぼ》らせて呉《く》れました。父《とう》さんは枝《えだ》から枝《えだ》をつたつて登《のぼ》つて、時《とき》にゆすつたりしても柿《かき》の木《き》は怒《おこ》りもしないのみか、『もつと遊《あそ》んでお出《いで》。もつと遊《あそ》んでお出《いで》。』
と父《とう》さんに言《い》ひました。
一七 鳥獸《とりけもの》もお友達《ともだち》
山《やま》の中《なか》に育《そだ》つた父《とう》さんは、いろいろな木《き》をお友達《ともだち》のやうに思《おも》つて大《おほ》きくなつたばかりではありません。お前達《まへたち》の好《す》きなお伽話《とぎばなし》の本《ほん》や雜誌《ざつし》の中《なか》に出《で》て來《く》るやうな、鳥《とり》や獸《けもの》まで幼少《ちひさ》い時分《じぶん》の父《とう》さんにはお友達《ともだち》でした。
お家《うち》にはおいしい玉子《たまご》を御馳走《ごちそう》して呉《く》れる鷄《にはとり》が飼《か》つてありました。父《とう》さんが裏庭《うらには》に出《で》て、桐《きり》の木《き》の下《した》あたりを歩《ある》き廻《まは》つて居《ゐ》ますと、その邊《へん》には鷄《にはとり》も遊《あそ》んで居《ゐ》ました。
『コツ、コツ、コツ。』
と鷄《にはとり》は父《とう》さんを見《み》かける度《たび》に挨拶《あいさつ》します。時《とき》には鷄《にはとり》はお友達《ともだち》のしるしにと言《い》つて、白《しろ》い羽《はね》や茶色《ちやいろ》な羽《はね》の拔《ぬ》けたのを父《とう》さんに置《お》いて行《い》つて呉《く》れることもありました。
めづらしいお客《きやく》さまでもある時《とき》には、父《とう》さんのお家《いへ》[#「いへ」はママ]では鷄《にはとり》の肉《にく》を御馳走《ごちそう》しました。山家《やまが》のことですから、鷄《にはとり》の肉《にく》と言《い》へば大《たい》した御馳走《ごちそう》でした。その度《たび》にお家《いへ》に飼《か》つてある鷄《にはとり》が減《へ》りました。あの締《し》められた首《くび》を垂《た》れ眼《め》を白《しろ》くしまして、羽《はね》をむしられる鷄《にはとり》を見《み》て居《ゐ》ますと、父《とう》さんはお腹《なか》の中《なか》でハラ/\しました。これはお客《きやく》さまの御馳走《ごちそう》ですから仕方《しかた》が無《な》いと思《おも》ひましたが、近所《きんじよ》のお家《いへ》では、鬪鷄《しやも》や鷄《にはとり》を締殺《しめころ》して煮《に》て食《く》ふといふことをよくやりました。村《むら》には隨分《ずゐぶん》惡戲《いたづら》の好《す》きな人達《ひとたち》がありました。さういふ人達《ひとたち》は生《い》きて居《ゐ》る鬪鷄《しやも》の毛《け》をむしりまして、煮《に》て食《く》ふ前《まへ》に追《お》ひ廻《まは》して面白《おもしろ》がつたものです。あの赤《あか》はだかに毛《け》を拔《ぬ》かれた鳥《とり》がヒヨイ/\飛《と》び歩《ある》くのを見《み》るほど、むごいものは無《な》いと思《おも》ひました。父《とう》さんは子供心《こどもごゝろ》にも、そんな惡戲《いたづら》をする村《むら》の人達《ひとたち》を何程《なにほど》憎《にく》んだか知《し》れません。
お家《うち》の土藏《どざう》には年《とし》をとつた白《しろ》い蛇《へび》も住《す》んで居《を》りました。その蛇《へび》は土藏《どざう》の『主《ぬし》』だから、かまはずに置《お》けと言《い》つて、石《いし》一つ投《な》げつけるものもありませんでした。不思議《ふしぎ》にもその年《とし》とつた蛇《へび》は動物園《どうぶつゑん》にでも居《ゐ》るやうに温順《おとな》しくして居《ゐ》てついぞ惡戲《いたづら》をしたといふことを聞《き》きません。父《とう》さんはめつたにその蛇《へび》を見《み》ませんでしたが、どうかすると日《ひ》の映《あた》つた土藏《どざう》の石垣《いしがき》の間《あひだ》に身體《からだ》だけ出《だ》しまして、頭《あたま》も尻尾《しつぽ》も隱《かく》しながら日向《ひなた》ぼつこをして居《ゐ》るのを見《み》かけました。
この土藏《どざう》について石段《いしだん》を降《お》りて行《ゆ》きますと、お家《うち》の木小屋《きごや》がありました。木小屋《きごや》の前《まへ》には池《いけ》があつて石垣《いしがき》の横《よこ》に咲《さ》いて居《ゐ》る雪《ゆき》の下《した》や、そこいらに遊《あそ》んで居《ゐ》る蜂《はち》や蛙《かへる》なぞが、父《とう》さんの遊《あそ》びに行《ゆ》くのを待《ま》つて居《ゐ》ました。裏木戸《うらきど》の外《そと》へ出《で》て見《み》ますと、そこにはまたお稻荷《いなり》さまの赤《あか》い小《ちひ》さな社《やしろ》の側《そば》に大《おほ》きな栗《くり》の木《き》が立《た》つて居《ゐ》ました。風《かぜ》でも吹《ふ》いて栗《くり》の枝《えだ》の搖《ゆ》れるやうな朝《あさ》に父《とう》さんがお家《うち》から馳出《かけだ》して行《い》つて見《み》ますと『誰《たれ》も來《こ》ないうちに早《はや》くお拾《ひろ》ひ。』と栗《くり》の木《き》が言《い》つて、三つづゝ一|組《くみ》になつた栗《くり》の實《み》の毬《いが》と一|緒《しよ》に落《お》ちたのを父《とう》さんに拾《ひろ》はせて呉《く》れました。高《たか》いところを見《み》ると、ワンと口《くち》を開《あ》いた栗《くり》の毬《いが》が枝《えだ》の上《うへ》から父《とう》さんの方《はう》を笑《わら》つて見《み》て居《ゐ》まして、わざと落《お》ちた栗《くり》の在《あ》る塲所《ばしよ》も教《をし》へずに、父《とう》さんに探《さが》し廻《まは》らせては悦《よろこ》んで居《を》りました。
『あんなところに落《お》ちて居《ゐ》るのが、あれが見《み》えないのかナア。』とは栗《くり》の毬《いが》がよく父《とう》さんに言《い》ふことでした。栗《くり》の木《き》は花《はな》からして提灯《ちやうちん》をぶらさげたやうに滑稽《こつけい》な木《き》でしたし、どうかすると青《あを》い栗虫《くりむし》なぞを落《おと》してよこして、人《ひと》をびつくりさせることの好《す》きな木《き》でしたが、でも父《とう》さんの好《す》きな木《き》でした。
一八 榎木《えのき》の實《み》
お家《うち》の裏《うら》にある榎木《えのき》の實《
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