などを造《つく》るのは、上手《じやうず》に出來《でき》ても出來《でき》なくても、樂《たのし》みなものでせう。父《とう》さんが自分《じぶん》で凧《たこ》を造《つく》つたのは、丁度《ちやうど》お前達《まへたち》の手工《しゆこう》の樂《たのし》みでしたよ。細《ほそ》い竹《たけ》や紙《かみ》でこしらへたものが、だん/\凧の《たこ》のかたちに成《な》つて行《い》つた時《とき》は、どんなに父《とう》さんも嬉《うれ》しかつたでせう。父《とう》さんはその凧《たこ》に絲目《いとめ》をつけまして、田圃《たんぼ》の方《はう》へ持《も》つて行《ゆ》きました。
『風《かぜ》[#「風」は底本では「凧」]よ、來《こ》い、來《こ》い、凧《たこ》揚《あが》れ。』
と言《い》つて、近所《きんじよ》の子供《こども》も手造《てづく》りにした凧《たこ》を揚《あ》げに來《き》て居《ゐ》ます。田圃側《たんぼわき》の枯《か》れた草《くさ》の中《なか》には、木瓜《ぼけ》の木《き》なぞが顏《かほ》を出《だ》して居《ゐ》まして、遊《あそ》び廻《まは》るには樂《たのし》い塲所《ばしよ》でした。[#「。」は底本では「、」]
『あゝ好《よ》い風《かぜ》[#ルビの「かぜ」は底本では「たこ」]が來《き》ました。この風《かぜ》に早《はや》く揚《あ》げて下《くだ》さい。』
と凧《たこ》が言《い》ひました。父《とう》さんが大急《おほいそ》ぎで糸《いと》を出《だ》しますと、凧《たこ》は左右《さいう》に首《くび》を振《ふ》つたり、長《なが》い紙《かみ》の尾《を》をヒラ/\させたりしながら、さも心持《こゝろもち》よささうに揚《あが》つて行《ゆ》きました。
凧《たこ》は空《そら》の方《はう》に居《ゐ》て、父《とう》さんにいろ/\な注文《ちうもん》をします。『あゝわたしは面喰《めんくら》ひそうになりました。もつと絲《いと》をたぐつて下《くだ》さい。』と言《い》ふ時《とき》には、父《とう》さんは凧《たこ》の注文《ちうもん》する通《とほ》りに絲《いと》をたぐつてやります。『今度《こんど》は左《ひだり》の方《はう》へ傾《かし》ぎさうになりました。早《はや》く右《みぎ》の方《はう》へ糸《いと》を引《ひ》いて下《くだ》さい。』と言《い》ふ時《とき》には、父《とう》さんはまた凧《たこ》の言《い》ふ通《とほ》りに右《みぎ》の方《はう》へ糸《いと》を引《ひ》いてやります。そのうちに凧《たこ》は風《かぜ》をうけて、高《たか》く高《たか》く、のして行《ゆ》きました。
『凧《たこ》さん、よく揚《あが》りましたね。そんなに高《たか》いところへ揚《あが》つたらそこいらがよく見《み》えませう。』
と父《とう》さんが下《した》から尋《たづ》ねますと、凧《たこ》は高《たか》い空《そら》から見《み》える谷底《たにそこ》の話《はなし》をしました。
『凧《たこ》さん、何《なに》が見《み》えます。ほうぼうのお家《うち》が見《み》えますか。』[#底本では「』」が脱字]
『えゝ、石《いし》の載《の》せてあるお家《うち》の屋根《やね》から、竹藪《たけやぶ》まで見《み》えます。馬籠《うまかご》の村《むら》が一|目《め》に見《み》えます。荒町《あらまち》の鎭守《ちんじゆ》の杜《もり》まで見《み》えます。』
『お祖父《ぢい》さんの好《す》きな惠那山《ゑなやま》は奈何《どんな》でせう。』
『惠那山《ゑなやま》もよく見《み》えます。もつと向《むか》ふの山《やま》も見《み》えます。高《たか》い山《やま》がいくつも/\見《み》えます。その山《やま》の向《むか》ふには、見渡《みわた》すかぎり廣々《ひろ/″\》とした野原《のはら》がありますよ。何《なに》か光《ひか》つて見《み》える河《かは》のやうなものもありますよ。』
『それはきつとお隣《となり》の國《くに》です。』
父《とう》さんの生《うま》れた田舍《ゐなか》は美濃《みの》の方《はう》へ降《お》りようとする峠《たうげ》の上《うへ》にありましたから、お家《うち》のお座敷《ざしき》からでもお隣《となり》の國《くに》が山《やま》の向《むか》ふの方《はう》に見《み》えました。極《ご》くお天氣《てんき》の好《よ》い日《ひ》には、遠《とほ》い近江《あふみ》の國《くに》の伊吹山《いぶきやま》まで、かすかに見《み》えることがあると、祖父《おぢい》さんが父《とう》さんに話《はな》して呉《く》れたこともありました。
『お蔭《かげ》で、高《たか》いところから見物《けんぶつ》しました。』
と凧《たこ》が言《い》ひました。
父《とう》さんも凧《たこ》を揚《あげ》たり、凧《たこ》の話《はなし》を聞《き》いたりして、面白《おもしろ》く遊《あそ》びました。自分《じぶん》の造《つく》つた凧《たこ》がそんなによく揚《あが》つたのを見《み》るのも樂《たのし》みでした。
『凧《たこ》も見物《けんぶつ》で草臥《くたび》れました。もうそろ/\降《おろ》して下《くだ》さい。』
と凧《たこ》が言《い》ふものですから、父《とう》さんが絲《いと》をたぐりますと、凧《たこ》はフハ/\フハ/\空《そら》を舞《ま》ふやうにして、田圃《たんぼ》のところまで嬉《うれ》しさうに降《お》りて來《き》ました。
九 猿羽織《さるばおり》
猿羽織《さるばおり》と言《い》つて、父《とう》さんの田舍《ゐなか》の子供《こども》は、お猿《さる》さんの着《き》る袖《そで》の無《な》い羽織《はおり》のやうなものを着《き》ました。寒《さむ》くなるとそれを着《き》ました。その猿羽織《さるばおり》を着《き》て雪《ゆき》の中《なか》を飛《と》んで歩《ある》くのは、丁度《ちやうど》木曾《きそ》の山《やま》の中《なか》のお猿《さる》さんが、雪《ゆき》の中《なか》を飛《と》んで歩《ある》くやうなものでした。
十 雪《ゆき》は踊《をど》りつゝある
父《とう》さんの田舍《ゐなか》では、何處《どこ》の家《うち》でも板《いた》で屋根《やね》を葺《ふ》いて、風《かぜ》や雪《ゆき》をふせぐために大《おほ》きな石《いし》が並《なら》べて屋根《やね》の上《うへ》に載《の》せてありました。なんと、あの石《いし》を載《の》せた板屋根《いたやね》は山《やま》の中《なか》の住居《すまゐ》らしいでせう。山《やま》には大《おほ》きな檜木《ひのき》の林《はやし》もありますから、その厚《あつ》い檜木《ひのき》の皮《かは》を板《いた》のかはりにして、小屋《こや》の屋根《やね》なぞを葺《ふ》くこともありました。雪《ゆき》が來《く》ればさういふお家《うち》の屋根《やね》も埋《うづ》まつてしまひ、畠《はたけ》も白《しろ》くなり、竹藪《やけやぶ》も寢《ね》たやうになつてしまひます。
元気《げんき》な雀《すずめ》は、そんな歌《うた》[#ママ]に頓着《とんちやく》なしで、自分《じぶん》のお宿《やど》も忘れ《わす》れたやうに雪《ゆき》と一|緒《しよ》に踊《をど》つて歩《ある》きます。
坂路《さかみち》の多《おほ》い父《とう》さんの村《むら》では、氷滑《こほりすべ》りの出來《でき》る塲所《ばしよ》が行《ゆ》く先《さき》にありました。村《むら》の子供《こども》はみな鳶口《とびぐち》を持《も》つて凍《こゞ》つた坂路《さかみち》を滑《すべ》りました。この氷滑《こほりすべ》りが雪《ゆき》の日《ひ》の樂《たのし》みの一つで、父《とう》さんも爺《ぢい》やに造《つく》つて貰《もら》つた鳶口《とびぐち》を持出《もちだ》しては近所《きんじよ》の子供《こども》と一|緒《しよ》に雪《ゆき》の降《ふ》る中《なか》で遊《あそ》びました。積《つも》つた雪《ゆき》を凍《こゞ》つた土《つち》の上《うへ》に集《あつ》めて、それを下駄《げた》の齒《は》でこするうちには、白《しろ》いタヽキのやうな路《みち》が出來上《できあが》ります。鳶口《とびぐち》を手《て》にしながら坂《さか》の上《うへ》の方《はう》から滑《すべ》りますと、ツーイ/\と面白《おもしろ》いやうに身體《からだ》が行《ゆ》きました。もしか滑《すべ》り損《そこ》ねて鳶口《とびぐち》で身體《からだ》を支《さゝ》へ損《そこ》ねた塲合《ばあひ》には雪《ゆき》の中《なか》へ轉《ころ》げこみます。さういふ度《たび》に子供同志《こどもどうし》の揚《あ》げる笑《わら》ひ聲《ごゑ》を聞《き》くのも樂《たのし》みでした。自分《じぶん》の着物《きもの》についた雪《ゆき》をはらつて復《また》滑《すべ》りに行《ゆ》くのも樂《たのし》みでした。どうかすると凍《こゞ》つて鏡《かゞみ》のやうに光《ひか》つて來《き》ます。その上《うへ》に白《しろ》く雪《ゆき》でも降《ふり》かゝると氷滑《こほりすべ》りの塲所《ばしよ》とも分《わか》らないことがあります。村《むら》の人達《ひとたち》が通《とほ》りかゝつて、知《し》らずに滑《すべ》つて轉《ころ》ぶことなぞもありました。
父《とう》さんはお前達《まへたち》のやうに、竹馬《たけうま》に乘《の》つて遊《あぞ》び廻《まは》ることも好《す》きでした。雪《ゆき》の日《ひ》には殊《こと》にそれが樂《たのし》みでした。大黒屋《だいこくや》の鐵《てつ》さん、問屋《とひや》の三|郎《らう》さんなどゝといふ近所《きんじよ》の子供《こども》が、竹馬《たけうま》で一|緒《しよ》になるお友達《ともだち》でした。そんな日《ひ》でも、馬《うま》が荷物《にもつ》をつけ、合羽《かつぱ》を着《き》た村《むら》の馬方《うまかた》に引《ひ》かれて雪《ゆき》の路《みち》を通《とほ》ることもありました。父《とう》さんが竹馬《たけうま》の上《うへ》から
『今日《こんにち》は。』
と言《い》ひますと、お馴染《なじみ》の馬《うま》は鼻《はな》から白《しろ》い氣息《いき》を出《だ》して笑《わら》ひながら
『やあ、今日《こんにち》は、お前《まへ》さんも竹馬《たけうま》ですね。』
と挨拶《あいさつ》しました。美濃《みの》の中津川《なかつがは》といふ町《まち》の方《はう》から、いろ/\な物《もの》を脊中《せなか》につけて來《き》て呉《く》れるのも、あの馬《うま》でした。時《とき》には父《おう》さんの村《むら》なぞに無《な》いめづらしい玩具《おもちや》や、父《とう》さんの好《す》きな箱入《はこいり》の羊羹《やうかん》を隣《となり》の國《くに》の方《はう》から土産《みやげ》につけて來《き》て呉《く》れるのも、あの馬《うま》でした。
『雪《ゆき》が降《ふ》つて樂《たのし》みでせうね。』
と馬《うま》が言《い》ひましたが、雪《ゆき》が降《ふ》れば馬《うま》でも嬉《うれ》しいかと父《とう》さんは思《おも》ひました。山《やま》の中《なか》へ來《く》る冬《ふゆ》やお正月《しやうぐわつ》には、お前達《まへたち》の知《し》らないやうな樂《たのし》さもありますね。氷滑《こほりすべ》りや竹馬《たけうま》で凍《こゞ》へた手《て》をお家《うち》の爐邊《ろばた》の火《ひ》にあぶるのも樂《たのし》みでした。
一一 庄吉爺《しやうきちぢい》さん
お前達《まへたち》は荒神《くわうじん》さまを知《し》つて居《ゐ》ませう。ほら、臺所《だいどころ》の竈《かまど》の上《うへ》に祭《まつ》る神《かみ》さまのことを荒神《くわうじん》さまと言《い》ひませう。あゝして火《ひ》を鎭《しづ》める神《かみ》さまばかりでなく、父《とう》さんの田舍《ゐなか》では種々《いろ/\》なものを祭《まつ》りました。
繭玉《まゆだま》のかたちを、しんこで造《つく》つてそれを竹《たけ》の枝《えだ》にさげて、お飼蠶《かいこ》さまを守《まも》つて下《くだ》さる神《かみ》さまをも祭《まつ》りました。病氣《びやうき》で倒《たふ》れた馬《うま》のためには、馬頭觀音《ばとうくわんおん》を祭《まつ》りました。歩《ある》いて通《とほ》る旅人《たびびと》の無事《ぶじ》を祈《いの》るためには、道祖神《だうそじん》を祭《まつ》りました。
父《とう》さんは爺《ぢい》やに連《つ》れられて、山《やま》の神《かみ》さまへお餅《もち》をあ
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