やうに、
『澁《しぶ》い柿《かき》は何時《いつ》までたつても澁《しぶ》いと言《い》ひますよ。さういへば節分《せつぶん》の日《ひ》に、棒《ぼう》を持《も》つた人《ひと》が來《き》て、『さあ、生《な》ると申《まを》すか、生《な》らぬと申《まを》すか』と言《い》つて、柿《かき》の木《き》を打《う》ちませう。その時《とき》、もう一人《ひとり》の人《ひと》が柿《かき》の木《き》に代《かは》つて、『生《な》ります、生《な》ります』と答《こた》へますね。あの棒《ぼう》で強《つよ》く打《う》たれゝば打《う》たれるほど、柿《かき》は甘《あま》くなるとかき聞《き》きました。どうも私《わたし》は節分《せつぶん》の日《ひ》に、棒《ぼう》で打《う》たれ方《かた》が足《た》りなかつたと思《おも》ひます。』と答《こた》へました。
柿《かき》の好《す》きなお百姓《ひやくしやう》の子供《こども》は青《あを》い柿《かき》を見《み》に來《き》ましたが、取《と》つて食《た》べて見《み》る度《たび》に澁《しぶ》さうな顏《かほ》をして、食《た》べかけのを捨《す》てゝしまひました。それからお隣《とな》りの赤《あか》い柿《かき》の方《はう》へ行《い》つて、たつた一《ひと》つだけ高《たか》いところに殘《のこ》つて居《ゐ》たのを長《なが》い竿《さを》で落《おと》しました。もうお隣《とな》りの木《き》の枝《えだ》には一つも赤《あか》い柿《かき》がありません。それを見《み》ると、青《あを》い柿《かき》は自分《じぶん》獨《ひと》り取殘《とりのこ》されたやうに、よけいに力《ちから》を落《おと》しました。
そのうちに、お百姓《ひやくしやう》が復《ま》た庭《には》へ見廻《みまは》りに來《き》ました。今度《こんど》は青《あを》い柿《かき》の生《な》つた木《き》の下《した》へ來《き》まして、斯《か》う聲《こゑ》を掛《か》けました。
『御覽《ごらん》、甘《あま》い柿《かき》はもう一つもなくなつてしまひました。今度《こんど》はお前《まへ》さんの番《ばん》に廻《まは》つて來《き》ましたよ。どんな柿《かき》の澁《しぶ》いのでも、霜《しも》が來《く》れば甘《あま》くなります。皮《かは》をむいて軒下《のきした》に釣《つ》るして置《お》いても甘《あま》くなります。澁《しぶ》い柿《かき》はもつとそこに辛抱《しんばう》してお出《いで》なさい。そして時《とき》の力《ちから》といふのをお待《ま》ちなさい。』

   四六 小鳥《ことり》の先達《せんだつ》

小鳥《ことり》の來《く》る頃《ころ》になりますと、いろ/\な種類《しゆるゐ》の小鳥《ことり》が山《やま》を通《とほ》りました。
鶫《つぐみ》、鶸《ひは》、※[#「けものへん+葛」、第3水準1−87−81]子鳥《あとり》、深山鳥《みやま》、頬白《ほゝじろ》、山雀《やまがら》、四十雀《しじふから》――とても數《かぞ》へつくすことが出來《でき》ません。あの足《あし》の色《いろ》が赤《あか》くて、羽《はね》に青《あを》い斑《ふ》の入《はい》つた斑鳩《いかる》も、他《ほか》の小鳥《ことり》の中《なか》にまじつて、好《す》きな榎木《えのき》の實《み》を食《た》べに來《き》ました。
木曾《きそ》の山《やま》の中《なか》は小鳥《ことり》の通《とほ》り路《みち》だと言《い》ふことでして、毎朝々々《まいあさ/\》、夜《よ》のあけがたには驚《おどろ》くばかり澤山《たくさん》な小鳥《ことり》の群《むれ》が山《やま》を通《とほ》ります。その中《なか》でも、群《むれ》をなして多《おほ》く通《とほ》るのは鶫《つぐみ》、鶸《ひは》などです。
この小鳥《ことり》の群《むれ》には、必《かなら》ず一|羽《ぱ》づゝ先達《せんだつ》の鳥《とり》があります。その鳥《とり》が空《そら》の案内者《あんないしや》です。澤山《たくさん》に隨《つ》いて行《ゆ》く鳥《とり》の群《むれ》は案内《あんない》する鳥《とり》の行《ゆ》く方《はう》へ行《ゆ》きます。もしかして案内《あんない》する鳥《とり》が方角《はうがく》を間違《まちが》へて、鳥屋《とや》の網《あみ》にでもかゝらうものなら、隨《つ》いて行《ゆ》く鳥《とり》は何《なん》十|羽《ぱ》ありましても皆《みな》同《おな》じやうにその網《あみ》へ首《くび》を突込《つゝこ》んでしまひます。
『さあ、皆《みな》さん、お支度《したく》は出來《でき》ましたか。』
そんなことを案内《あんない》する小鳥《ことり》が言《い》つて、澤山《たくさん》な鳥仲間《とりなかま》の先《さき》に立《た》つて出掛《でか》けるのだらうと思《おも》ひます。
鳥《とり》にも先達《せんだつ》はありますね。

   四七 鳥屋《とや》

村《むら》の人達《ひとたち》に連《つ》れられて、山《やま》の上《うへ》の方《はう》の鳥屋《とや》へ遊《あそ》びに行《い》つた時《とき》のことをお話《はなし》しませう。
鳥屋《とや》は小鳥《ことり》を捕《と》るために造《つく》つてある小屋《こや》のことです。何方《どつち》を向《む》いても山《やま》ばかりのやうなところに、その小屋《こや》が建《た》てゝあります。屋根《やね》の上《うへ》は木《き》の葉《は》で隱《かく》して、空《そら》を通《とほ》る小鳥《ことり》の眼《め》につかないやうにしてあります。その小屋《こや》の周圍《まはり》に、細《ほそ》い丈夫《ぢやうぶ》な糸《いと》で編《あ》んだ鳥網《とりあみ》の大《おほ》きなのが二つも三つも張《は》つてあるのです。網《あみ》を張《は》つた高《たか》い竹竿《たけざを》には鳥籠《とりかご》が掛《かゝ》つて居《ゐ》ました。その中《なか》には囮《をとり》が飼《か》つてありまして、小鳥《ことり》の群《むれ》が空《そら》を通《とほ》る度《たび》に好《い》い聲《こゑ》で呼《よ》びました。
『もし/\、鶫《つぐみ》さん。』
この囮《をとり》になる鳥《とり》の呼聲《よびごゑ》は、春先《はるさき》から稽古《けいこ》をした聲《こゑ》ですから、高《たか》い空《そら》の方《はう》までよく徹《とほ》りました。それを聞《き》きつけた小鳥《ことり》の先達《せんだつ》が好《い》い聲《こゑ》に誘《さそ》はれて降《お》りて來《き》ますと、他《ほか》の小鳥《ことり》も同《おな》じやうに空《そら》から舞《ま》ひ降《お》りて來《き》ます。
その時《とき》、降《お》りて來《き》た小鳥《ことり》をびつくりさせるものは、急《きふ》に横合《よこあひ》から飛出《とびだ》す薄黒《うすぐろ》いものと、鷹《たか》の羽音《はおと》でもあるやうなプウ/\唸《うな》つて來《く》る音《おと》です。
『これは堪《たま》らん。』
と小鳥《ことり》の先達《せんだつ》は張《は》つてある網《あみ》の中《なか》へ飛《と》び込《こ》みます。他《ほか》の小鳥《ことり》もあはてまして、みんな網《あみ》の中《なか》へ飛《と》び込《こ》みます。鳥屋《とや》で捕《と》れる小鳥《ことり》はこんな風《ふう》にして網《あみ》にかゝりますが、小鳥《ことり》をびつくりさせたのは他《ほか》のものでも有《あ》りません。横合《よこあひ》から飛出《とびだ》した薄黒《うすくろ》いものは、鳥屋《とや》で人《ひと》の振《ふ》る竹竿《たけざを》の先《さき》についた古《ふる》い手拭《てぬぐひ》か何《なに》かの布《きれ》でした。鷹《たか》の羽音《はおと》でもあるやうに唸《うな》つて來《き》た音《おと》は、その竹竿《たけざを》を手《て》にした人《ひと》が口端《くちばた》を尖《とが》らせてプウ/\何《なに》か吹《ふ》く眞似《まね》をして見《み》せた聲《こゑ》でした。
鳥屋《とや》で捕《と》れる小鳥《ことり》は、一朝《ひとあさ》に六十|羽《ぱ》や七十|羽《ぱ》ではきかないと言《い》ひました。この小鳥《ことり》の捕《と》れる頃《ころ》には、村《むら》の子供《こども》はそろ/\猿羽織《さるばおり》を着《き》ました。急《きふ》に降《ふ》つて來《き》て、また急《きふ》に止《や》んでしまふやうな雨《あめ》も、深《ふか》い林《はやし》を通《とほ》りました。

   四八 爐邊《ろばた》

爺《ぢい》やが山《やま》から茸《きのこ》を採《と》つて來《き》たり、栗《くり》を拾《ひろ》つて來《き》たりする頃《ころ》は、お家《うち》の爐邊《ろばた》の樂《たの》しい時《とき》でした。
爺《ぢい》やは爐《ろ》で栗《くり》を燒《や》いて、友《とも》さんや父《とう》さんに分《わ》けて呉《く》れるのを樂《たのし》みにして居《ゐ》ました。ある晩《ばん》、爺《ぢい》やが裏《うら》のお稻荷《いなり》さまの側《わき》から拾《ひろ》つて來《き》た大《おほ》きな栗《くり》を爐《ろ》にくべまして、おいしさうな燒栗《やきぐり》のにほひをさせて居《ゐ》ますと、それを爐邊《ろばた》の板《いた》の上《うへ》で羨《うらや》ましさうに見《み》て居《ゐ》た澁柿《しぶかき》がありました。
『庄吉爺《しやうきちぢい》さん、栗《くり》の澁《しび》が燒《や》けてそんなに香《かう》ばしさうになるものなら、一《ひと》つ私《わたくし》も燒《や》いて見《み》て呉《く》れませんか。』
とその澁柿《しぶかき》が言《い》ひました。
爺《ぢい》やは父《とう》[#ルビの「とう」は底本では「う」]さんの見《み》て居《ゐ》る前《まへ》で、爐邊《ろばた》にある太《ふと》い鐵《てつ》の火箸《ひばし》を取出《とりだ》しました。それで澁柿《しぶかき》に穴《あな》をあけました。栗《くり》を燒《や》くと同《おな》じやうにその澁柿《しぶかき》を爐《ろ》にくべました。そのうちに、※[#「熱」の左上が「幸」、178−8]《あつ》い灰《はひ》の中《なか》に埋《う》まつて居《ゐ》た柿《かき》の穴《あな》からは、ぷう/\澁《しぶ》を吹出《ふきだ》しまして、燒《や》けた柿《かき》がそこへ出來上《できあが》りました。
『さあ、私《わたくし》も食《た》べて見《み》て下《くだ》さい。』
とその柿《かき》が父《とう》さんに御馳走《ごちさう》して呉《く》れるのを貰《もら》ひまして、黒《くろ》く燒《や》[#「ルビの「や」は底本では「た」]けた柿《かき》の皮《かは》をむきましたら、軒下《のきした》に釣《つ》るして乾《ほ》した柿《かき》でもなく、霜《しも》に逢《あ》つて甘《あま》くなつた柿《かき》でもなく、その爐邊《ろばた》でなければ食《た》べられないやうな、おいしい變《かは》つた味《あぢ》の柿《かき》でした。

   四九 山《やま》の中《なか》へ來《く》る冬《ふゆ》

東京《とうきやう》で『ネツキ』といふ子供《こども》の遊《あそ》びのことを父《とう》さんの田舍《ゐなか》では『シヨクノ』と言《い》ひます。山《やま》の中《なか》は山《やま》の中《なか》なりに子供《こども》の遊《あそ》びにも流行《はやり》がありまして、一頃《ひところ》『シヨクノ』が村中《むらぢう》に流行《はや》りました。どこの田圃側《たんぼわき》へ行《い》つて見《み》ても、どこの畠《はたけ》の隅《すみ》へ行《い》つて見《み》ても、子供《こども》といふ子供《こども》の集《あつ》まつて居《ゐ》るところでは、その遊《あそ》びが始《はじ》まつて居《ゐ》ました。
枯々《かれ/″\》とした裏庭《うらには》に出《で》て、父《とう》さん達《たち》は『シヨクノ』の遊《あそ》びにする細《こまか》い木《き》を探《さが》したり、それを手《て》ごろの長《なが》さに切《き》つたり、地《ぢ》べたへよく打《う》ちこめるやうに先《さき》の方《はう》を尖《とが》らせたり、時《とき》にはもう幾度《いくたび》か勝負《しやうぶ》[#ルビの「しやうぶ」は底本では「やうぶ」]をした揚句《あげく》に土《つち》のついて齒《は》のこぼれたやつを削《けづ》り直《な》したりして遊《あそ》びました。父《とう》さん達《たち》がそんな子供《こども》らしいことをして居《ゐ》る間《ま》に、爺《ぢい》やはまた木曾風《きそふう》な背負梯子《しよひばしご》を肩《かた》にかけ、鉈《な
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