梨《なし》の木《き》の下《した》からよく見《み》えました。爺《ぢい》やは心配《しんぱい》して、父《とう》さんを言《い》ひなだめに來《き》て呉《く》れましたが、父《とう》さんは誰《だれ》の言《い》ふ事《こと》も聞《き》き入《い》れずに、みんなの夕飯《ゆふはん》の濟《す》むまでそこに立《た》ちつくしました。
斯《か》ういう塲合《ばあひ》に、いつでも父《とう》さんを連《つ》れに來《き》て呉《く》れるのはあのお雛《ひな》で、お雛《ひな》は父《とう》さんのために御飯《ごはん》までつけて呉《く》れましたが、到頭《たうとう》その晩《ばん》は父《とう》さんは食《た》べませんでした。
愚《おろ》かな父《とう》さんは、好い事《こと》でも惡《わる》い事《こと》でもそれを自分《じぶん》でして見《み》た上《うへ》でなければ、その意味《いみ》をよく悟《さと》ることが出來《でき》ませんでした。そのかはり、一度《いちど》懲《こ》りたことは、めつたにそれを二度《にど》する氣《き》にならなかつたのは、あの梨《なし》の木《き》の下《した》に立《た》たせられた晩《ばん》のことをよく/\忘《わす》れずに居《ゐ》たからでありませ
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