『良心《りやうしん》の眼《め》ざめ』だ、自分《じぶん》が一|生《しやう》の中《うち》のどんな出來事《できごと》でもあんなに深《ふか》く長續《ながつゞ》きのして殘《のこ》つたものはない、とその話《はなし》にも言《い》つてありましたつけ。
三一 梨《なし》の木《き》の下《した》
子供《こども》が片足《かたあし》づゝ揚《あ》げて遊《あそ》ぶことを、東京《とうきやう》では『ちん/\まご/\』と言《い》ひませう。土地《とち》によつては『足拳《あしけん》』と言《い》ふところも有《あ》るさうです。父《とう》さんの田舍《ゐなか》の方《ほう》ではあの遊《あそ》びのことを『ちんぐら、はんぐら』と言《い》ひます。
問屋《とんや》の三|郎《らう》さんは近所《きんじよ》の子供《こども》の中《なか》でも父《とう》さんと同《おな》い年《どし》でして、好《い》い遊《あそ》び友達《ともだち》でした。父《とう》さんがお家《うち》の表《おもて》に出《で》て遊《あそ》んで居《を》りますと、何時《いつ》でも坂《さか》の上《うへ》の方《はう》から降《お》りて來《き》て一|緒《しよ》に成《な》るのは、この三|郎《らう》
前へ
次へ
全171ページ中83ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング