》の幼少《ちひさ》な時分《じぶん》には、ごく弱《よわ》かつたものですから、この白狐《しろぎつね》はこれでも育《そだ》つかしら、と皆《みんな》に言《い》はれたくらゐださうです。その私《わたし》を可哀《かあい》さうに思《おも》つて、親狐《おやぎつね》は私《わたし》の言《い》ふなりに育《そだ》てゝ呉《く》れましたとか。私《わたし》は他《ひと》の言《い》ふことなぞを聞《き》かないで、自分《じぶん》のしたい事《こと》をしました。鷄《にはとり》が食《た》べたければ、鷄《にはとり》を盜《ぬす》んで來《き》ました。そんな眞似《まね》をして、もう我儘《わたまゝ》一《いつ》ぱいに振舞《ふるま》つて居《を》りますうちに、だん/″\私《わたし》は[#「は」は底本では「ば」]獨《ひと》りぼつちに成《な》つてしまひました。誰《たれ》も私《わたし》とは交際《つきあ》はなくなりました。私《わたし》の眼《め》が覺《さ》める時分《じぶん》には、誰《だれ》も私《わたし》の言《い》ふことを本當《ほんたう》にして呉《く》れる者《もの》はありませんでした。御覽《ごらん》の通《とほ》り、私《わたし》は今《いま》、お稻荷《いなり》さ
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