が御奉公《ごほうこう》して居《ゐ》た永昌寺《えいしやうじ》は、小高《こだか》い山《やま》の上《うへ》にありました。そのお寺《てら》の高《たか》い屋根《やね》は村中《むらぢう》の家《いへ》の一|番《ばん》高《たか》いところでした。狐《きつね》が來《き》て言《い》つた通《とほ》り、村中《むらぢう》一|番《ばん》の建築物《けんちくぶつ》でもありました。そこで撞《つ》く鐘《かね》の音《おと》は谷《たに》から谷《たに》へ響《ひゞ》けて、何處《どこ》の家《いへ》へも傳《つた》はつて行《ゆ》きました。その鐘《かね》の音《おと》は、年《とし》とつた和尚《をしやう》さんの前《まへ》の代《だい》にも撞《つ》き、そのまた前《まへ》の代《だい》にも撞《つ》いて來《き》たのです。もう何《なん》百|年《ねん》といふことなく、古《ふる》い鐘《かね》の音《おと》が山《やま》の中《なか》で鳴《な》つて居《ゐ》たのです。
永昌寺《えいしやうじ》のある山《やま》の中途《ちうと》には、村中《むらぢう》のお墓《はか》がありました。こんもりと茂《しげ》つた杉《すぎ》の林《はやし》の間《あひだ》からは、石《いし》を載《の》せた村《
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