水《しみづ》のあるところを樂《たのし》く思《おも》ひました。みんなが威勢《ゐせい》よく水《みづ》を汲《く》んだり擔《かつ》いだりするのを見《み》るのも樂《たのし》く思《おも》ひました。そればかりではありません。父《とう》さんが子供《こども》の時分《じぶん》から水《みづ》といふものを大切《たいせつ》に思《おも》ひ、ずつと大《おほ》きくなつても水《みづ》の流《なが》れて居《ゐ》るのを見《み》るのが好《す》きで、水《みづ》の音《おと》を聞《き》くのも好《す》きなのは、斯《か》うして水《みづ》に不自由《ふじいう》な田舍《ゐなか》に生《うま》れたからだと思《おも》ひます。
父《とう》さんのお家《うち》には井戸《ゐど》が掘《ほ》つてありました。その井戸《ゐど》は柄杓《ひしやく》で水《みづ》の汲《く》めるやうな淺《あさ》い井戸《ゐど》ではありません。釣《つ》いても、釣《つ》いても、なか/\釣瓶《つるべ》の上《あが》つて來《こ》ないやうな、深《ふか》い/\井戸《ゐど》でした。
父《とう》さんの祖母《おばあ》さんの隱居所《いんきよじよ》になつて居《ゐ》た二|階《かい》と土藏《どざう》の間《あひだ》を通《
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