Consolation)なり。詳《つまびらか》に人間生活の状態を観よ、蠢々《しゆん/\》※[#「口+禺」、第3水準1−15−9]々《ぎよう/\》として、何のおもしろみもなく、何のをかしみもなきに似たれど、其実は、個々特種の快楽を有し、人々異様の慰藉を領するなり。放蕩なる快楽は飲宴好色なり、着実なる快楽は晏居《あんきよ》閑楽なり、熱性ある快楽は忠孝仁義等の目的及び希望なり、誠実なる快楽は家を斉《とゝの》へ生を理するにあり。然れども是等は、特性の快楽を挙げたるのみ、若し通性の快楽をいふ時は、美くしきものによりて、耳目[#「耳目」に傍点](Sight and hearing)を楽しますことにあり。耳には音を聞き、目には物を睹《み》る、之《こ》れ快楽を願欲するの最始なり。然れどもマインド(智、情、意)の発達するに従ひて、この簡単なる快楽にては満足すること能はざるが故に、更に道義《モーラル》の生命《ライフ》に於て、快楽を願欲するに至るなり。道義の生命に於て快楽を願欲するに至る時は、単に|自然の摸倣《ネーチユーア・イミテーシヨン》を事とする美術を以て真正の満足を得ること能はざるは必然の結果なるが故
前へ 次へ
全44ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
北村 透谷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング