を慰保するものなるべし。
快楽と実用とは、主観に於ては美の要素[#「要素」に傍点]なりと雖、客観に於ては美の結果[#「結果」に傍点]なり、内部にありては、美を構成[#「構成」に傍点]するものなりと雖、外部の現象に於ては美の成果[#「成果」に傍点]なり。この二要素を論ずるに先《さきだ》ちて吾人は、
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人生何が故に美を要するか
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に就きて一言せざるべからず。
音楽何の為に人生に要ある。絵画何が故に人生に要ある。極めて些末《さまつ》なる装飾品までも、何が故に人生に要ある。何が故に歌ある。何が故に詩ある。何が故に温柔なる女性の美ある。何が故に花の美ある。何が故に山水の美ある。是等の者はすべて遊惰《いうだ》放逸《はういつ》なる人間の悪習を満足せしむるが為に存するものなるか。もし然らんには、人生は是等の凡《すべ》ての美なくして成存することを得べし。然るに古往今来、尤も蛮野《ばんや》なる種族に、尤も劣等なる美の観念を有し、尤も進歩せる種族に、尤も優等なる美の観念を有するは、何が故ぞ。尤も蛮野なる種族にも、必らず何につけてか美を求むるの念ある事は、明白
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