せずして、詩の理と詩の美とをも究むるにあらざれば不可なるべし。
 人生を慰むるといふ事より、Pleasure なるものが、詩の美に於て、欠くべからざる要素なる事を知るを得べし。人生を保つといふ事より Utility なるものが、詩の理に於て、欠くべからざる要素なる事を知るべし。真に人生を慰め、真に人生を保つには、真に人生を観察し、人生を批評するの外に、真に人生を通訳することもなかるべからず。人生を通訳するには、人生を知覚[#「知覚」に傍点]せざるべからず。故に天賦の詩才ある人は、人間の性質を明らかに認識するの要あるなり。然らざればヂニアスは真個の狂人のみ、靴屋にもなれず、秘書官にもなれぬ白痴のみ。
 人生(Life)といふ事は、人間始まつてよりの難問なり、哲学者の夢にも此難問は到底解き尽くす可らずとは、古人も之を言へり。若し夫れ、社界的人生などの事に至りては、或は鋭利なる観察家の眼睛《がんせい》にて看破し得ることもあるべけれど、人生の Vitality に至りては、全能の神の外は全く知るものなかるべし。故に詩人の一生は、黙示の度に従ひて、人生を研究するものにして、感応の度に従ひて、人生
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