ば、奈何《いか》なる大家先生の所説なりとも、是に対して答弁するの権利[#「権利」に傍点]なきなり。然れども余自ら「山庵雑記」に言ひし如く、是非真偽は容易に皮相眼を以て判別すべきものならざるに、余が文章の踈雑《そざつ》なりしが為め、或は意気昂揚して筆したりしが為か、斯《かく》も誤読せらるゝに至りたるは極めて残念の事と思ふが故に、余は不肖を顧みず、浅膚《せんぷ》を厭はず、是より「評論」紙上に於て、出来得る丈誤読を免かるゝ様に、明治文学の性質を論ずるの栄を得んとす。之を為すは、本より愛山君の所説を再評するが為にはあらざるも、若し余が信ずるところに於て君の教示を促すべきことあらば、請ふ自ら寛《ゆる》うして、之を垂れよ。
余は先づ明治文学の性質を以て始めんとす。而して、明治文学の性質を知らんが為には、如何なる主義が其中に存するかを見ざるべからず。純文界にも、批評界にも、或は時事界にも、済々たる名士羅列するを見る。然れども余は存生中の人を評論するに於て、二箇のおもしろからぬ事あるを慮《おもんぱか》るなり、其一は、もし賞揚する時に諛言《ゆげん》と誤まられんか、若し非難する時に詬評《こうひやう》と
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