に一任するものなるか。吾人は諾する能はず。別に精神なるものあり、人間の覚醒は即ち精神の覚醒にして、人間の睡眠は即ち精神の睡眠なり、倫理道徳は人間を盲目ならしむるものにあらずして、人間の精神に愬《うつた》ふるものならずんばあらず、高大なる事業は境遇等によりて(絶対的に)生ずるものにあらずして、精神の霊動に基くものならざるべからず、人間の窮通は機会の独断すべきものにあらずして、精神の動静に因するものならざるべからず。精神は自《みづか》ら存するものなり、精神は自ら知るものなり、精神は自ら動くものなり、然れども精神の自存、自知、自動は、人間の内にのみ限るべきにあらず、之と相照応するものは他界にあり、他界の精神は人間の精神を動かすことを得べし、然れども此は人間の精神の覚醒の度に応ずるものなるべし。かるが故に人間を記録する歴史は、精神の動静を記録するものならざるべからず、物質の変遷は精神に次ぎて来るものなるが故に、之を苟且《かりそめ》にすべしと云《いふ》にはあらねど、真正の歴史の目的は、人間の精神を研究するにあるべし。人生実に無辺なり、然も意味なき無辺にあらず、畢竟するに精神の自由の為に砂漠を旅す
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