存在し、世界と共に進歩する思想[#「思想」に傍点]なるものは、羅針盤なくして航行するものにあらずと見えたり。吾人は夢を疑ふ、然れども夢なるもの全く人間を離れたるものにあらず、吾人は想像力を訝《いぶか》る、然れども想像力なるもの全く虚妄なるものにあらず、吾人は理想を怪しむ、然れども理想なるもの全く人間と関係なきものにあらず、夢や、想像力や、理想や、是れ等のものはスフ※[#小書き片仮名ヒ、1−6−84]ンクスに属する妖術の種類にあらずして、何事をか吾人に教へ、何物をか吾人に黙示し、吾人をして水上の浮萍《うきくさ》の如く浪のまに/\漂流するものにあらざるを示すに似たり。且つ吾人は自ら顧みて己れを観る時に、何の希望もなく、何の目的もなく、在来の倫理に唯諾《ゐだく》し、在来の道徳を墨守《ぼくしゆ》し、何事かの事業にはまりて一生を竟《をは》るを以て、自ら甘んずること能はざるものあるに似たり。怪しむべきは此事なり。
 倫理道徳は人間を覊縛《きばく》する墨繩《ぼくじよう》に過ぎざるか。真人至人の高大なる事業は、境遇と周辺と塲所とによりて生ずるに止まるか。人間の窮通消長は、機会《チヤンス》なるものゝ横行
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