ずるに、其的[#「的」に傍点]、其結果[#「結果」に傍点]、其功用[#「功用」に傍点]のみを標率とする時は、種々なる誤謬[#「誤謬」に傍点]を生ずるに至るべし、本能[#「本能」に傍点]、本性[#「本性」に傍点]を合せて、其結果[#「結果」に傍点]、其功用[#「功用」に傍点]、其的[#「的」に傍点]、を観察するにあらざれば、余輩其の可なるを知らず。故に文学を評論するには、少くとも其本能本性に立ち入りて、然る後に功用[#「功用」に傍点]、結果[#「結果」に傍点]、目的[#「目的」に傍点]等の陪審官[#「陪審官」に傍点]に諮《と》はざるべからず。
快楽と実用とは詩が兼ね備へざるべからざる二大要素なることは、疑ふまでもなし。然れども詩《ポエトリー》が必らず、この二大要素に対して隷属すべき地位に立たざるべからずとするは、大なる誤謬なり。
吾人が日本文学史を研究するに当りて、第一に観察せざる可からざる事は、如何なる主義《プリンシプル》、如何なる批評眼、如何なる理論《セオリー》が、主要《ヲーソリチー》の位地を占有しつゝありしかにあり。而して吾人は不幸にも、世益主義[#「世益主義」に傍点](世道人
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