用は客観に於ては物質的人生に渉ると雖、前にも言ひし如く、到底主観に於ては道義的人生にまで達せざるべからざるものなり([#ここから割り注]此事に就きては恐らく詳論を要するなるべし[#ここで割り注終わり])。
 余は「快楽」と「実用」との性質に就き、及び此二者が人生と相渉れる関係に就きて、粗略なる解釈を成就したり。是より、
[#ここから3字下げ]
「快楽」と「実用」とが文学に関係するところ如何《いかん》
[#ここで字下げ終わり]
に進むべし。
 快楽と実用とは、文学の両翼なり、双輪なり、之なくては鳥飛ぶ能はず、車走る能はず。然れども快楽と実用とは、文学の本躰にあらざるなり。快楽と実用とは美の的[#「的」に傍点](Aim)なり。美の結果[#「結果」に傍点](Effect)なり。美の功用[#「功用」に傍点](Use)なり。「美」の本躰は快楽と実用とにあらず。これと共に、詩の広き範囲に於ても、快楽と実用とは、其的[#「的」に傍点]、其結果[#「結果」に傍点]、其功用[#「功用」に傍点]に過ぎずして、他に詩の本能[#「本能」に傍点]ある事は疑ふ可からざる事実なるべしと思はる。
 若し事物の真価を論
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