魂に与ふる傷痍[#「傷痍」に傍点]は、即ち吾人が道義の生命に於て感ずる苦痛[#「苦痛」に傍点]なり。この血痕、この紅涙こそは、古昔より人間の特性を染むるものならずんばあらず。かるが故に、必要上より、「慰藉」といふもの生じ来りて、美しきものを以て、欲を柔らかにし、其毒刃を鈍くするの止むなきを致すなり。然れどもすでに必要といふ以上は、慰藉も亦た、多少実用の物ならざるにあらず。試に一例を挙て之を説かん。
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梅花と桜花との比較
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梅花と桜花とは東洋詩人の尤も愛好するものなり。梅花は、其の華[#「華」に傍点]に於ては、単に慰藉[#「慰藉」に傍点]の用に当つべきのみ、然れども、其果[#「果」に傍点]に於ては、実用[#「実用」に傍点]のものとなるなり。斯の如く、固有性[#「固有性」に傍点]に於て慰藉物なるもの、附属性[#「附属性」に傍点]に於て実用品たることあり(之と反対《ヴアイス・ヴアーサ》の例をも見よ)。桜花は果[#「果」に傍点]を結ばざるが故に、単に慰藉の用[#「用」に傍点]に供すべきのみなるかと問ふに、貴人の園庭に於て必らず無くてならぬものとな
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