的に([#ここから割り注]平民的という言、爰に用ふるを得るとすれば[#ここで割り注終わり])、雑誌評論らしき、普通の諒解にうちまかせて、この字を用ふるなり。
人生は、フ※[#小書き片仮名ヒ、1−6−84]ジカルに於て進歩すると同時に、モーラルにも進歩するものなり、Phisical world の拡まり行くと共に Moral world も拡まり行くものなり。故に其必要とする快楽に於ても亦た、単に耳目を嬉《よろこ》ばすといふのみにては足らぬ様になるなり。加ふるに智情意の発達と共に、各種各様の思想を生ずるが故に、其の必要とする快楽も彼等の発達したる智情意を満足せしむる程の者たらざるべからず。かるが故に、道義的人生に相渉るべき適当の快楽なくしては、道義自身も槁《か》れ、人生自身も味なきに至らん事必せり。爰《こゝ》に於て、道義の生命の中心なる霊魂を以て、美の表現の中心なる宇宙の真美を味ふの必要起るなり。宇宙の真美は、或はサブライムといひ、或はビユーチフルと言ひ、審美学家の孜々《しゝ》として討究しつゝある問題にして、容易に論入すべきものにあらず。但し、余は、「人生に相渉るとは何の謂ぞ」と題する
前へ
次へ
全44ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
北村 透谷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング