り居るところよりすれば、幾分かは実用[#「実用」に傍点]の性質をも備へてあるなり。(梅桜と東洋文学の関係に就きては他日詳論することあるべし)これと同じく家具家材の実用品と共に或種類の装飾品も亦た、多少実用の性質あるなり。屏風《びやうぶ》は実用品なり、然れども、白紙の屏風といふものを見たる事なきは何ぞや。装飾と実用との相密接するは、之を以て見るべし。之より、
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実用の起原
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に就きて一言すべし。
この問題は至難なるものなり。然れども、極めて雑駁《ざつぱく》に、極めて独断的に之を解けば、前に「快楽」の起原に就きて曰ひたる如く、人間は欲[#「欲」に傍点]の動物なるが故に、その欲[#「欲」に傍点]と調和したる度に於て、自家の満足を得る為に、意と肉とを適宜に満足せしむるが為に、必要とする器物もしくは無形物を願求するの性あること、之れ実用の起原なり。而して人文進歩の度に応じて「実用」も亦進歩するものなる事は、前に言ひたると同じ理法にて明白なり。人文進歩とは、物質的人生《フ※[#小書き片仮名ヒ、1−6−84]ジカル・ライフ》と、道義的人生《モーラル・ライフ》との両像に於て進歩したるものなるが故に、「実用」も其の最始に於ては、単に物質的需用を充たすに足りし者が追々に、道義的需用を充たすに至るべき事は当然の順序なり。他の側面より見る時は野蛮人と開化人との区別は、道義性の発達したりしと否とにありといふも、不可なかるべし。爰に於て道義的人生に相渉るべき文学なるものは、人間の道義性を満足せしむるほどのものならざるべからざる事は、認め得べし。之より、
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道義的人生の実用
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とは何ぞやの疑問にうつるべし。
人間を正当なる知識に進ましむるもの(学理[#「学理」に傍点])其一なり、人間を正当なる道念に進ましむるもの(倫理[#「倫理」に傍点])其二なり、人間を正当なる位地に進ましむるもの(美[#「美」に傍点])其三なり。
斯の如く概説し来りたるところを以て、吾人は、快楽と実用との上に於て吾人が詩と称するものゝ地位を瞥見《べつけん》する事を得たり。快楽即ち慰藉は、道義的人生に欠くべからざるものたると共に、実用も亦た道義的人生に欠くべからざるものなる事を見たり。但し慰藉は主として道義的人生に渉る性を有し、実
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