一文の中に其一端を論じたる事あれば、就いて読まれん事を請ふになむ。是より、
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「快楽」と「実用」との双関
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に就きて一言せむ。
「快楽」と「実用」とは特種の者にして、極めて密接なる関係あるものなり。実用を離れたる快楽は、絶対的には全然之なしと断言するも不可なかるべし。快楽の他の意味は慰藉《コンソレーシヨン》なる事は前にも言ひたり。慰藉といふ事は、孤立《アイソレーテツド》したる立脚点《スタンドポイント》の上に立つものにあらずして、何物にか双対するものなり。ヱデンの園に住みたる始祖には、慰藉といふものゝ必要は無かりし。之あるは人間に苦痛ありてよりの事なり。故に、
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人生何が故に苦痛あるか
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の一問を解くの止むべからざるを知る。
曰く、欲《パツシヨン》なる魔物が、人生の中に存すればなり。凡ての罪、凡ての悪、凡ての過失は欲あるが故にこそあるなれ。而して、罪、悪、過失等の形を呈せざる内部の人生に於て、欲と正義と相戦ひつゝある事は、苟《いやし》くも人生を観察するに欠くべからざる要点なり。この戦争が人生の霊魂に与ふる傷痍[#「傷痍」に傍点]は、即ち吾人が道義の生命に於て感ずる苦痛[#「苦痛」に傍点]なり。この血痕、この紅涙こそは、古昔より人間の特性を染むるものならずんばあらず。かるが故に、必要上より、「慰藉」といふもの生じ来りて、美しきものを以て、欲を柔らかにし、其毒刃を鈍くするの止むなきを致すなり。然れどもすでに必要といふ以上は、慰藉も亦た、多少実用の物ならざるにあらず。試に一例を挙て之を説かん。
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梅花と桜花との比較
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梅花と桜花とは東洋詩人の尤も愛好するものなり。梅花は、其の華[#「華」に傍点]に於ては、単に慰藉[#「慰藉」に傍点]の用に当つべきのみ、然れども、其果[#「果」に傍点]に於ては、実用[#「実用」に傍点]のものとなるなり。斯の如く、固有性[#「固有性」に傍点]に於て慰藉物なるもの、附属性[#「附属性」に傍点]に於て実用品たることあり(之と反対《ヴアイス・ヴアーサ》の例をも見よ)。桜花は果[#「果」に傍点]を結ばざるが故に、単に慰藉の用[#「用」に傍点]に供すべきのみなるかと問ふに、貴人の園庭に於て必らず無くてならぬものとな
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