て縦《ほしいまゝ》に製作せしむる程に低くならざるなり。宗教も亦た人間をして随意に料理せしむる程に卑しくならざるなり。道徳の底に一の道徳あり、宗教の底に一の宗教あるは、美術の底に一の美術あると相異なる所なからんか。要するにモーラリチーは一なるのみ。政治的に所謂《いはゆる》道徳なりとするところの者、例せば儒教の如きもの、未だ以てモーラリチーの本然とは言ふべからず。宗派的に所謂道徳なりとするところのもの、未だ以てモーラリチーの本然と言ふべからず。宗教の中の宗教とすべきは、その人性、人情に感応する所多きにあり。モーラリチーも亦た、然らんか。美術も亦た然らんか。畢竟《ひつきやう》するに宗教も美術も、人心の上に臨める大感化力なるに於ては、相異なるところあるなし。然れどもラスキンの言へる如く、美術は道義を円満にするの力を有すれども、宗教の如く道義を創作することは能はず。宗教の天啓たるが如く、美術も亦た一種の天啓なり。宗教の高尚なる使命を帯びたる如くに、美術も亦た高尚なる使命を帯べり。ヒユーマニチーは其の唯一の目的なり。無より有を出すにあらず。有を取りて之を完《まつた》うするものなり。尤も劣等なる動物
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