を見もせまじ、然れども斯く嘲りたる平民的短歌の史論家(同じく愛山生)と時を同《おなじ》うして立つの悲しさは、無言|勤行《ごんぎやう》の芭蕉より其詞句の一を仮り来つて、わが論陣を固むるの非礼を行はざるを得ず。古池の句は世に定説ありと聞けば之を引かず、一層簡明なる一句、余が浅学に該当するものあれば、暫らく之を論ぜんと欲す。其は、
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明月や池をめぐりてよもすがら
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の一句なり。
池の岸に立ちたる一個人は肉[#「肉」に白丸傍点]をもて成りたる人間なることを記憶せよ。彼はすべての愛縛、すべての執着、すべての官能的感覚に囲まれてあることを記憶せよ。彼は限ある物質的の権《ちから》をもて争ひ得る丈は、是等無形の仇敵と搏闘《はくとう》したりといふことを記憶せよ。彼は功名と利達と事業とに手を出すべき多くの機会ありたることを記憶せよ。彼は人世に相渉るの事業に何事をも難しとするところなかりしことを記憶せよ。然るに彼は自ら満足することを得ざりしなり、自ら勝利を占めたりと信ずることを得ざりしなり、浅薄なる眼光を以てすれば勝利なりと見るべきものをも、彼は勝利と見る能は
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