ころを知らざるなり。
渠は悪を悪とするを知る、然《さ》れども悪の悪なるが故に自《みづか》ら制止することは能はず、能はざるに非ず、するの意志を有せざるなり。善の善なることを知る、然《さ》れども善の善たるを知りて之を施《ほどこ》すことは能はず、能はざるに非ず、施すの念を有《たも》たざるなり。彼の一身は一側より言へば、わんぱくなり、他の一側より見れば頑執なり。人の婦《ふ》なることを知りて之を姦せんとす、元より非道なり、然《さ》れども彼は非道を世人の嫌悪する意味に於ての非道とせず。人を己れの慾情の為に殺害するの悖虐《はいぎやく》なるを知る、然《さ》れども悖虐を悖虐とする所以は極めて冷淡なる意味に於てなり。故に彼は此大悪を犯さんとする時に、左転右※[#「目+分」、第3水準1−88−77]《さてんうへん》せず、白刃を睡客に加ふるの時に於てすら、彼はなほ大悪の大悪たるを暁知せざるなり。
斯《かく》の如くに冷絶なる傲漢《がうかん》をして曇天の俄然として開け、皎々たる玉女天外にひかり出でたるが如くならしめたる絶妙の変化は、いかにして来りたるか。殺人の大悪彼を驚懼《きやうく》せしめ、醒覚せしめしか。然
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