多き時代にありて、袈裟御前なるもの実際世にありしか、或は疑ひを※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]むの余地なきにあらず。然れども凡てのドラマチカルの事蹟を抹殺し去りても、文覚が其妄愛に陥りし対手を害せし事は事実なるべし。文覚が世に伝説するが如き驕暴なるものにあらずとするも、少なくとも癡迷惑溺《ちめいわくでき》の壮年たりしことは許諾せざるべからず。
渠《かれ》は「油地獄」の主人公の如く癡愚無明なりしものなるか。余は、しかく信ずること能はず。彼の文、彼の識、世間の道法を弁ぜざるものとは認め難し。然《さ》れども渠は迷溺するを免かれざりしなるべし、彼の本地は世間の道法に非ず、世間の快楽にあらず、世間の功利にあらず、進取にあらず、退守にあらず、全然一個の腕白むすこたりしなるべく、何物にか迷ひ何物にか溺るゝにあらざれば、遂に一転するの機会は非ざりしなり。渠は凡《すべて》のものを蔑視したるなるべし、浄海も渠を怖れしめず、政権も渠を懸念せしめず、己れの本心も渠を躊躇《ちうちよ》せしむるところなく、激発暴進、鉄欄《てつらん》の以て繋縛する者あるに至るまでは停駐すると
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