の時こそ、悪より善に転じ、善より悪に転ずるなれ、この疲廃して昏睡するが如き間に。
人の一生を水晶の如く透明なるものと思惟するは非なり、行ひに於いては或は完全に幾《ちか》きものあらむ、心に於ては誰か欠然たらざる者あらむ。人は到底絶対的に善なるものとなること能はず、然《さ》れども或限りある「時」の間に於て、極めて高大なりと信ずる事は出来ざるにあらず、其限りある時間の長短は一問題なり、われは思ふ、其極めて短かきは石火の消えぬ間にして、長きも流星の尾に過ぎじ。虚無を重んじ無為を尚ぶも畢竟この理に外ならず、施為《せゐ》多く思想豊かにして而して高遠なること能はざるは、寧ろ彼《か》の施為なく思想なくして、石火中の大頓悟を楽しむに如《し》かじとすらむ。
文覚の袈裟《けさ》に対するや、如何《いか》なる愛情を有《たも》ちしやを知らず、然れども世間彼を見る如き荒逸なる愛情にてはあらざりしなるべし。当時夫婦間の関係を推《すゐ》するに、徳川氏時代の如く厳格なるべきものにあらず、袈裟の如き堅貞の烈女、実際にありしものなりや否やを知らず、常磐《ときは》の如き、巴《ともゑ》の如き節操の甚だ堅からざる女人《をんな》
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