聖に至りては、我は之を人間界に索《もと》むるの愚を学ぶ能はず。然り、大知、大能、大聖は人間界に庶幾《しよき》すべからず、然れども是を以て人間の霊活を卑《ひく》うするところはなきなり、人間と呼べる一塊物(A piece of work)を平穏静着なるものとする時は、何の妙観あるを知らず、善あり、悪あり、何等思議すべからざるところありて始めて其本性を識得するを得《うる》なり、善鬼悪鬼美鬼醜鬼、人間の心池に混交し、乱戦するを以て始めて人間なるものゝ他の動物と異なる所を見るべし。
 神の如き性、人の中にあり、人の如き性、人の中にあり、此二者は常久の戦士なり、九竅《きうけう》の中《うち》にこの戦士なければ枯衰して人の生や危ふからむ。神の如き性を有《たも》つこと多ければ、戦ひは人の如き性を倒すまでは休まじ、休むも一時にして、程|経《ふ》れば更に戦はざる能はず。人の如き性を有《たも》つこと多ければ終身|惘々《まう/\》として煩ふ所なく、想ふ所なく、憂ふる所なからむ。この両性の相闘ふ時に精神活きて長梯を登るの勇気あり、闘ふこと愈《いよ/\》多くして愈激奮し、その最後に全く疲廃して万事を遺《わす》る、こ
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