悪の外被に蔽はれたる至善あり、善の皮肉に包まれたる至悪あるを看破するは、古来哲士の為難《なしがた》しとするところ、凡俗の容易に企つる能《あたは》ざる難事なり。もし夫れ悪の善に変じ、善の悪に転じ、悪の外被に隠れたる至善の躍り出で、善の皮肉に蔵《かく》れたる至悪の跳《は》ね起るが如き電光一閃の妙変に至りては、極めて趣致あるところ、極めて観易からざるところ、達士も往々この境に惑ふ。
 人間の無為は極めて暗黒なるところと極めて照明なるところとあり。その無心の域《さかひ》に入れりとすべきは、生涯の中《うち》に幾日もあらず。誰か能《よ》く快楽と苦痛の覊束《きそく》を脱離し得たるものぞ。誰か能く浄不浄の苦闘を竟極《きやうきよく》し得たるものぞ。誰か能く真《まこと》に是非曲直の鉄鎖を断離し得たるものぞ。唯だ夫れ人間に賢愚あり、善悪あり、聖汚あるは、その暗黒と照明との時間の「長さ」を指すべきのみ。いかに公明正大を誇負する人ありとも、我は之を諾する能はず、畢竟するにその所謂《いはゆる》公明なる所以《ゆゑん》のものは、暗黒の「影」の比較的に薄きに過ぎず、照明なる時間の比較的に長きに過ぎず、真の大知、大能、大
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