うつし、薪火《しんくわ》をもて暖めつゝ、近郷近里の老若男女、春冬の閑時候に来り遊ぶの便に供せり。一条《ひとすぢ》の山径《やまみち》草深くして、昨夕《ゆうべ》の露なほ葉上《はのうへ》にのこり、※[#「寨」の「木」に代えて「衣」、第3水準1−91−84]《かゝ》ぐる裳《もすそ》も湿《ぬ》れがちに、峡々《はざま/\》を越えて行けば、昔遊《むかしあそび》の跡歴々として尋ぬべし。老鶯に送迎せられ、渓水に耳奪はれ、やがて砧の音と欺かれて、とある一軒《ひとむね》の後ろに出づれば、仙界の老田爺が棒打とか呼べることをなすにてありけり。こゝは網代の村端《むらはづれ》にて、これより渓澗《けいかん》に沿ひ山一つ登れば、昔し遊びし浴亭、森粛《しんしゆく》たる叢竹の間にあらはれぬ。この行甚だ楽しからず、蒼海約して未だ来らず、老侠客の面《かほ》未だ見《みえ》ず、加《くはふ》るに魚なく肉なく、徒らに浴室内に老女の喧囂《けんがう》を聞くのみ。肱《ひぢ》を曲げて一睡を貪《むさ》ぼると思ふ間《ま》に、夕陽|已《すで》に西山《せいざん》に傾むきたれば、晩蝉《ばんせん》の声に別れてこの桃源を出で、元の山路に拠《よ》らで他の草径
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