らかに、義太夫の節に巧みに、刀剣の鑑定にぬきんで、村内の葛藤を調理するに威権ある二十貫男、むかし三段目の角力《すまふ》を悩ませし腕力たしかに見えたり。
 わが幻境は彼あるによりて幻境なりしなり。わが再遊を試みたるも寔《まこと》に彼を見んが為なりしなり。我性尤も侠骨を愛す。而して今日の社界まことの侠骨を容るゝの地なくして、剽軽《へうけい》なる壮士のみ時を得顔に跳躍せり。昨日の一壮士、奇運に遭会し代議士の栄誉を荷ひて議場に登るや、酒肉足りて脾下《ひか》見苦しく肥ゆるもの多し、われは此輩に会ふ毎に嘔吐を催ふすの感あり。世に知られず人に重んぜられざるも胸中に万里の風月を蓄へ、綽々《しやく/\》余生を養ふ、この老侠骨に会はんとする我が得意は、いかばかりなりしぞ。
 車を下《を》り閉せし雨戸を叩《たゝ》かんとするに、むかしながらの老婆の声はしはぶきと共に耳朶《じだ》をうちぬ。次いで少婦《せうふ》の高声を聞きぬ。わが手は戸に触れて音なふ声と共に、中には早や珍客の来遊におどろける言葉を洩らせるものあり。わが音《おん》むかしに変らぬか、なつかしきものは往日《わうじつ》の知音《ちいん》なり。戸は開かれて我
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