》は更なり、此頃とんぼ追ひの仲間に入りて楽しく遊びはじめたる弟の形も見えず。日は全く暮れぬれども未だ帰らず。案じわびて待つうちに、雨戸の外に人の音しければ急ぎ戸を開くに、母ひとり忙然として立てり。その様子怪しげに見えはせしものゝ、いかに悲しき事のありけんとは思ひもよらず。弟は、と問へば、しばし黙然たりしが、何かは知らず太息《ためいき》と共に、あれは殺して来たよ、と答へぬ。
 始めは戯れならむと思ひしが、その容貌《ようばう》の青ざめたるさへあるに、夜の事とて共に帰らぬ弟の身の不思議さに、何処にてと問ひければ、東禅寺|裡《うら》にて、と答ふ。驚ろき呆れて、半ば疑ひながらも、母の言ひたるところに、走り行きて見れば、こはいかに、無残や一人の弟は倒《さかさ》まに、墓の門なる石桶にうち沈められてあり。其傍になまぐさき血の迸《ほとばし》りかゝれる痕を見《みた》りと言へば、水にて殺せしにあらで、石に撃つけてのちに水に入《いれ》たりと覚《おぼえ》たり。気も絶え入《いら》んほどに愕《おどろ》き惑ひしが、走り還りて泣き叫びつゝ、近隣の人を呼《よび》ければ、漸く其筋の人も来りて死躰の始末は終りしが、殺せし人の
前へ 次へ
全9ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
北村 透谷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング