尊さは余人の能《よ》く知るところにあらず。或日の事とて妻は娘を家に残しつ、小児を携へて出で行きしが、米買ふ銭を算《かぞ》へつゝ、ふと其口を洩れたる言葉は「もしこの小児なかりせば、日々に二銭を省くことを得べきに」なりし。之を聞きたる小娘《むすめ》は左までに怪しみもせざりし。その容貌にも殊更に思はるゝところはあらざりしとなむ。
 このあたりの名寺なる東禅寺は境広く、樹古く、陰欝として深山《しんざん》に入るの思《おもひ》あらしむ。この境内に一条の山径《やまみち》あり、高輪《たかなわ》より二本榎に通ず、近きを択《えら》むもの、こゝを往還することゝなれり。累々《るゐ/\》たる墳墓の地、苔滑らかに草深し、もゝちの人の魂魄《こんぱく》無明の夢に入るところ。わがかしこに棲《す》みし時には、朝夕杖を携へて幽思を養ひしところ。又た無邪気の友と共に山いちごの実を拾ひて楽みしところなり。
 家を出でゝ程久しきに、母も弟も還ること遅し、鴉は杜《もり》に急げども、帰らぬ人の影は破れし簷《のき》の夕陽《ゆふひ》の照光《ひかり》にうつらず。幾度《いくたび》か立出でゝ、出で行きし方を眺むれど、沈み勝なる母の面《おもぶせ
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