涙の蒼頬《さうけふ》に流れて、紅《くれな》ゐ闌干《らんかん》たるを見るのみ。
 軒端《けんたん》数分の間隙よりくゞり入るは、世の人の嫦娥《じやうが》とかあだなすなる天女なれども、我が意中人の音信を伝へ入るゝことをなさねば、我は振りかへり見ることもせず。いづこの庭にうゑたる花にやあらむ、折にふれては妙なるかをりを風がもて来ることもあれど、我が恋ふ人の魂《たま》をこゝに呼び出すべき香《かをり》にてもなければ、要もなし、気まぐれものゝ蝙蝠《かうもり》風勢《ふぜい》が我が寂寥《せきれう》の調を破らんとてもぐり入ることもあれど、捉へんには竿なし、好《よ》し捉ふるとも、我が自由は彼の自由を奪ふことによりて回復すべきにあらず、況《ま》して我恋人の姿を、この見苦しき半獣半鳥よりうつし出づることの、望むべからざるをや。
 是の如きもの我牢獄なり、是の如きもの我恋愛なり、世は我に対して害を加へず、我も世に対して害を加へざるに、我は斯く籠囚の身となれり。我は今無言なり、膝を折りて柱に憑《もた》れ、歯を咬《か》み、眼を瞑《めい》しつゝあり。知覚我を離れんとす、死の刺《はり》は我が後《うしろ》に来りて機《をり》
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