ど、我はこれに怖るゝ心を失ひたり、夏の熱さにも我は我が膓《はらわた》を沸かす如きことは無くなれり、唯だ我九膓を裂きて又《ま》た裂くものは、我が恋なり、恋ゆゑに悩《もだ》ゆるにあらず、牢獄の為に悶ゆるなり、我は籠中にあるを苦しむよりも、我が半魂の行衛《ゆくゑ》の為に血涙を絞るなり。雷音洞主の風流は愛恋を以て牢獄を造り、己れ是に入りて然る後に是を出でたり、然れども我が不風流は、牢獄の中《うち》に捕繋せられて、然る後に恋愛の為に苦しむ、我が牢獄は我を殺す為に設けられたり、我も亦《ま》た我牢獄にありて死することを憂ひとはせざれども、我をして死す能はざらしむるもの、則ち恋愛なり、而して彼は我を生かしむることをもせず、空しく我をして彼のデンマルクの狂公子の如く、我母が我を生まざりしならばと打ち喞《かこ》たしむるのみ。
春や来《こ》しと覚ゆるなるに、我牢室を距《さ》ること数歩の地に、黄鳥の来鳴くことありて、我耳を奪ひ、我魂を奪ひ、我をしてしばらく故郷に帰り、恋人の家に到る思ひあらしむ、その声を我が恋人の声と思ふて聴く時に、恋人の姿は我前にあり、一笑して我を悩殺する昔日《せきじつ》の色香は見えず、愁
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