》へす事に注ぎたり。其小説の中《うち》に一箇の偶人をやとうて、言はしめて曰く、
「聴きね、わが思ふやう、基督が世にありし頃に為せるところ何人《なんぴと》をも退《しりぞ》けし跡はなく、世にさげすまるゝ者には却《かへつ》て慈悲を垂れたまへる事多かりき。彼は卑しき者より使徒を撰み挙げたまひしのみか、常に卑賤《いやしき》ものをあはれみたまひし跡、蔽《おほ》ふ可からず。自ら高しとするものは卑《ひく》くせられ、自ら卑くするものは高めらるべしと教へられ、自らも万民の主と言ひながら弟子達の足を洗ふ程に、身を卑うせられき。」云々。

     伯の道徳本領

 は、基督の山上の教訓より転化し来れりと思はるゝ節《ふし》多し。曰く、
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(1)[#「(1)」は縦中横] 戦ふこと勿《なか》れ。
(2)[#「(2)」は縦中横] 義《さば》きする勿れ。
(3)[#「(3)」は縦中横] 姦婬を犯す勿れ。
(4)[#「(4)」は縦中横] 誓を立つる勿れ。
(5)[#「(5)」は縦中横] いかりを起す勿れ。
(6)[#「(6)」は縦中横] 悪を為す者に暴を以て加ふる勿れ。
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