ふ事なかれ、我等が苦痛は一時のものなり、我等が永遠の生命《いのち》は何物と雖、奪ふ事能はざるべし」と。再び曰く「何事も神の聖意より出でざるはなし、死も生も」と。蓋《けだ》し露国の農民の信仰を代表する者にして、死も自然の者なれば、刺《はり》多き者として悪《にく》まれはせで、極めて美くしき者とまで彼等の心には映るなり。「神は彼女を取り去れり、彼女が至るべきところは、彼女の如き美くしき心ある者ならねばかなふまじきによりてなり、彼女の死はいたむべきものならず」と言ふも、亦たこの平民的詩人なり。吾人はトルストイ伯によりて、露国の平民を知るを得つ、彼等が鞏固《きようこ》なる宗教上の観念を涵養《かんやう》しつゝあるを見て、露西亜の将来に望むところ多からざるを得ず。
トルストイ伯は理想派詩人にはあらず、彼は理想を抱ける実際派なり、何となれば彼が写すところ、公平無私に農民の状態を描出し、其欠所を隠蔽することを為《な》さゞればなり。もし彼が貴族の家に生れ、顕栄の位地に立つべき身を以て、農民を愛撫し、誠信を以て世に屹立《きつりつ》するに至りたる来歴を問はゞ、
彼は長く生命を疑ひしなり。
彼
前へ
次へ
全9ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
北村 透谷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング