實《じつ》に右《みぎ》に述《の》べたる魔力《まりよく》の所業《しよげふ》を妙寫《みようしや》したるに於《おい》て存するのみ。もしこの評眼《ひようがん》をもちて財主の妹を財主と共に虐殺したる一節[#「財主の妹を財主と共に虐殺したる一節」に白丸傍点]を讀《よ》まば、作者《さくしや》の用意《ようい》の如何に非凡《ひぼん》なるかを見《み》るに惑《まど》はぬなるべし。
 作者《さくしや》は何《なん》が故《ゆえ》にラスコーリニコフが氣鬱病《きうつびやう》に罹《かゝ》りたるやを語《かた》らず開卷《かいかん》第一に其《その》下宿住居《げしゆくじゆうきよ》を點出《てんしつ》せり、これらをも原因《げんいん》ある病氣《びやうき》と言《いひ》て斥《しりぞ》けたらんには、この書《しよ》の妙所《みやうしよ》は終《つい》にいづれにか存《そん》せんや。何《なん》が故《ゆえ》に私宅教授《したくけふじゆ》の口がありても錢取道《ぜにとるみち》を考《かんが》へず、下宿屋《げしゆくや》の婢《ひ》に、何《なに》を爲《し》て居《ゐ》ると問《と》はれて考《かんが》へる事《こと》を爲《し》て居《ゐ》ると驚《おどろ》かしたるや。何《なん》が故《ゆへ》に、婬賣《いんばい》女に罪《つみ》を行《おこな》ふ資本《しほん》と知《し》りながら、香水料《こうすいりよう》の慈惠《じけい》を爲《な》せしや、何《なん》が故《ゆへ》に少娘《むすめ》を困厄《こんやく》せしめし惡漢《あくかん》をうちひしぐなどの正義《せいぎ》ありて、而《しか》して己《おの》れ自《みづか》ら人《ひと》を殺《ころ》すほどの惡事《あくじ》を爲《な》せしや、何《なん》が故《ゆへ》に極《きは》めて正直《せうじき》なる心《こゝろ》を以《もつ》て、極《きは》めて愛情《あいじよう》にひかさるべき性情《せいじよう》を以《も》て而《しか》して母《はゝ》と妹《いもと》の愛情《あいじよう》を冷笑《れいしよう》するに至《いた》りしや、何《なん》が故《ゆえ》に一|人《にん》の益《えき》なきものを殺《ころ》して多人數《たにんず》を益《えき》する事《こと》を得《え》ば惡《あ》しき事《こと》なしといふ立派《りつぱ》なる理論《りろん》をもちながら流用《りうよう》する事《こと》覺束《おぼつか》なき裝飾品《そうしよくひん》數個《すこ》を奪《うば》ひしのみにして立去《たちさ》るに至《いた》りしか、何《
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