以て犠牲たる、何が故に犠牲たるを甘んずるを得るや、美いかな人間の情、好むべきかな人間の心、友の為に身を苦しめ、親の為めに心を痛め、而して自ら甘心し、真実何の悔恨なきを得るは、豈に讃《ほ》むべき事にあらずや。「自己《セルフ》」といふ柱に憑《よ》りかゝりて、われ安し、われ楽しと喜悦するものゝ心は、常に枯木なり、花は茲《こゝ》に咲かず、実は茲に熟せず。情は一種の電気なり、之あるが故に人は能く活動す。時に或は愁雲恨雨の中に暴然鳴吼をなし、霹靂《へきれき》一声人眼を愕ろかすことあるも、亦た止むべからず。花なき花は之なり、実なき実は是なり。情死軽んずべからず。
「世の中に絶えて心中なかりせば、二世のちぎりもなからまじ」(旅中、本書を携へず、或は誤字あらん)、と「冥土の飛脚」に言はせたる巣林子《さうりんし》、われその濃情を愛す。人の誠意は情によりて始めて見るべし。沈静は元より沈静の味あり、然れども熱意も亦た、熱意の味あるにあらずや。熱意は人を誠実に駆り、誠実は往々にして人を破却に逐《お》ふ、破却|素《もと》より悪《にく》むべし、然れども破却の中に誠実あり、人死して誠実残る、愛の妙相は之なり、「真玉白玉、種類《しな》あれど、愛に易《か》ふべき物はなし」、と市谷《いちがや》の詩人|大《おほい》に若くなれり。
 よしや幻想に欺かるゝ事ありとも、二人が間には一点の詐偽《さぎ》なく、一粒の疑念なし、二にして一、一にして二、斯の如く相抱て水に投ず。死する時楽境にあるが如く、濁水も亦た甘露を味ふに似たり、万事斯くして了れば、残るものははしたなき世の浮名のみ。浮名も何ぞや。嗚呼《あゝ》罪なり、然り、罪なり、然れども凡そ世間の罪にして斯の如く純聖なる罪ありや。死は罰なり、然り、罰なり、然れども世間の罰にして斯の如く甘美なる罰ありや。嗚呼狂なり、然り、狂なり、然れども世間の狂にして斯の如く真面目なる狂ありや。幻と呼び夢と呼ぶも理あれど、斯の如く真実なる幻と夢とは、人間の容易に味ひ得ざるところ。之を以てわれは情死を憫《あは》れむ事切なり。
 義理人情に感ずること多きもの、情死の主人となること多きは、巣林子の戯曲之を証せり。捉ふるものは義理人情、逃ぐるに怯ならず、避くるに卑しからず、死を以て之を償《つぐの》ふ、滅を以て之を補ふ、情死は勇気ある卑怯者の処為なり、是を大胆なる無情漢に比すれば如何ぞや。
「そ
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