「桂川」(吊歌)を評して情死に及ぶ
北村透谷

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)市谷《いちがや》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)残花道人|嘗《か》つて

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)劣情[#「劣情」に傍点]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)あはれ/\
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 まづ祝すべきは市谷《いちがや》の詩人が俗嘲を顧みずして、この新らしき題目を歌ひたることなり。
 残花道人|嘗《か》つて桂川を渡る、期は夜なり、風は少しく雨を交《まじ》ゆ、「昨日《きのふ》も今日《けふ》も五月雨《さみだれ》に、ふりくらしたる頃なれど」とあるを見れば梅雨の頃かとぞ思ふ。「霧たちこめし水の面《も》に、二ツの光りてらすなり、友におくれし螢火か、はた亡き魂かあはれ/\」と一面惨絶の光景を画きて、先づ幽魂の迷執をうつす。それより情死の事由を列《つら》ね、更に一転してその苦痛と応報とを陳《の》ぶ。「あやなき闇に凄然《すさま》じや、閻羅《えんら》と見ゆる夏木立」。之より一回転して虚実の中に出没し、視るところのものゝ心裡を写出する一節絶筆なり。
「こゝは処も桂川」、最前の起句を再用して、「造化の筆はいまもなほ、悲惨の景色うつしいで、我はた冥府《よみ》の人なりき」といふ末句の如き、千鈞の重ありと云ふべし。これより急調に眼を過ぐるものを言ひ、「三ツ四ツおちし村雨は、つゝみかねたる誰《た》が涙かな」にて結び、更に「玉鉾《たまぼこ》の道は小暗し、たどりゆく繩手はほそし、松風の筧《かけひ》の音も、身にしみていとうらかなし、」と巧麗婉艶の筆を以て、行路の詩人の沈痛なる同情を醒起す。これより漸く佳境に進みて「影なる人のかたる」を言ひ、或は平瀉《へいしや》、或は急奔、遂に「われらが罪をゆるせかし、犠牲《にへ》となりしは愛のため」にて全篇を結べり。余は残花氏の巧妙と幽思、この篇にて尽くるを見る、明治の韻文壇、斯かる佳品を出すもの果して幾個かあらむ。
 試《こゝろみ》に余をして簡約に情死に就きて余が見るところを言はしめよ。
 人の世に生るや、一の約束を抱きて来れり。人に愛せらるゝ事と、人を愛する事之なり。造化は生物を理するに一の法を設けたり、禽獣鱗介に至るまで、自《おのづ》からこの法に洩るゝ事なし。之ありて
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