を其或る一面相より観察する者なる故に、道也が「奇男児」を作りたる詩人の懐裡に宿りたるは無理ならぬ事なり。然れども道也は理想上の人物として、佐太夫と共に心機霊活の妖物として、遊廓内の豪傑として、粋の粋として、遂《つひ》に佐太夫程に妙ならず、理想家としての露伴が写実家なる紅葉のこの種の理想に於て少しく席を譲りたるを惜しむ。然れども元よりこの種の理想に於て優劣を較《かく》するの愚を、われ学ぶ者ならず、若し夫《そ》れ明治の想実両大家が遊廓内の理想上の豪傑を画くに汲々《きふ/\》し、我が文学をして再び元禄の昔に返らしむる事あらば、吾人の遺憾いかばかりぞや。
この両著書に於て二大家相|邇近《じきん》したりとは前に述べたる所なるが、偖《さ》て両著書の相邇近したる中心点は何処《いづこ》に存するや。言《ことば》を換へて云へば両著書が小極致とするところは、何《いづ》れにありや、何れにありて同致を見《あら》はすや。曰く、両書共に元禄文学の心膸を穿《うが》ち、之に思ひ思ひの装束を着けて出たるところにあり。或人は此書に於て露伴の文章|漸《やうや》く西鶴を離れて独創の躰を出《いだ》せりと言ひしが、文章に於ては或
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