以て、平常《へいぜい》の細微巧麗なる紅葉の作を読み慣れたる眼には、何となく琴曲を欲《おも》ふ時に薩摩《さつま》琵琶《びは》を聞くが如きの感あるなれ。余は佐太夫を以て紅葉の理想なりとは断ぜず、唯だ其性質の天晴|傾城《けいせい》の神《しん》とも言はる可き程なるを見て、紅葉は写実の点より墨を染めたりと言はんより、寧ろ理想上の一紅唇、「両刀横へていかめし作りの胸毛男を、幾人《いくたり》も随伴《とも》に引連れ」たる姉が身を、眼下に見下さんほどの粋の粋、廓内にての女豪傑になつたる佐太夫を主観的に画き出たりと見るは非か。
 去つて「新葉末集」を読め。「風流仏《ふうりうぶつ》」、「一口剣《いつこうけん》」等に幽妙なる小天地想を嘔《うた》ひ、一種奇気抜く可らざる哲理を含みたる露伴の詩骨は徒《いたづ》らに「心機霊活の妖物」なる道也の影に痩《や》せさらばひぬ。道也は実に一妖物なり、奇物なり、露伴にあらずんば誰か能《よ》く斯般《しはん》の妖物奇物を擒《とりこ》にせん。平凡無癖を以て愚物なりとし、一癖あるにあらざれば談ずるに足らずとする露伴に道也あるは、無理ならぬ事なり。蓋《けだ》し理想詩人の性として必らず人生
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