伴の長所に、少くとも乗入らんとせしなり、而《しか》して露伴も亦た「対髑髏《たいどくろ》」、「奇男児」等の鋭利なる奇想を廻り遠しとや思ひけむ、紅葉独得の写実界にまぐれ込まむとの野心を抱きしなり。故に「伽羅枕」は紅葉従来の作に見る可からざる奇気を吐けり、而して「新葉末集」は露伴が登壇以来見せし事なき人情の微妙を細察したり。然れども余は両作家の位地全然転倒したりと言ふにはあらず、唯だ紅葉は露伴に近づき、露伴も亦た紅葉に近寄り、而して紅葉は紅葉の本躰を備へ、露伴は露伴の実色をあらはすと言ふのみ。某評者の言へりし如く、佐太夫の生涯は江戸の苦海に沈みし後、前半部とは全く異《ことな》れる人物となれり。又た同評者の言はれし如く、所々に時代違ひの如き者あり。要するに彼が其実姉に会ひて後の心想は全く変じて、前半部若し紅葉独得の写実筆法なりせば、後半部はむしろ理想――遊廓内の女豪傑を写す筆法を変じ来りて、往々にして有り得べからざるが如き事実を写し出《いだ》す事、他の諸作に比して不似合なるを覚えしむ。究竟《きうきやう》するに紅葉は実を写す特有の天才より移つて、佐太夫なる、或意味に於ての理想的伝記を画き出たるを
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