をして逸調の奇想を吐く者たらしめたるに、不思議にも「伽羅枕」及「新葉末集」に至りて、両家の意匠の、其外部の形式の如何《いかん》に拘らず、陰然相似たる所あるが如し。
紅葉の佐太夫は女性にして、露伴の道也《だうや》は男性なり。然《しか》れども両著者の意匠中に入りて其奥を窺《うかゞ》へば、佐太夫も道也も男女の境を脱して、混沌として唯だ両主人公の元素同一なるを認むべきのみ。佐太夫とは歴々武士の落胤《らくいん》、道也とは名家釜師のなれの果て、其|生立《おひたち》を聞けば彼も母一人此も母一人、彼は娼家に養はれ、此は遊蕩《いうたう》と呼ぶ※[#「女+爾」、第4水準2−5−85]母《はゝ》に養はる。彼は売色塲|裡《り》に人と成り、此も好色修行に身を抛《なげう》ち、彼も華奢豪逸を以て心事となし、此も銀むくの煙管を路傍の狗《いぬ》に与へて去るの傲遊《がういう》を以て快事となす。此等の同致を列記すれば際限あらじ、然《しか》れ雖《ども》余が此二作の意匠相似たりと言ふは、此等外部の同致のみにあらず、作家着想の根本に入りて、理想の同致あるを認めたればなり。
若《も》し推《すゐ》して言ふ事を得せしめば、紅葉は露
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