、慨歎に堪《た》へざらしむ。そも粋と呼ばるゝ者、いかなる性質より成れるか、そも売色女の境遇より、如何なる自然の心を読み得るか。われ多言するに勝《た》へざるなり。元禄文学の品質如何は、他日詳論すべき心算ある故に、爰《こゝ》には之を言はず。唯だ余は明治の大家なる紅葉が不自然なる女豪を写し出《いだ》して、恋愛道以外に好色道を教へたるを憾《うら》む事限りなし。
われは「風流仏」及び「一口剣」を愛読す。常に謂《おも》へらく、此二書こそ露伴の作として不朽《インモータル》なる可けれ。何が故に二書を愛読する、曰く、一種の沈痛深刻なる哲理の其|中《うち》に存するあるを見ればなり。今や二書に慣れたる眼を転じて「辻浄瑠璃」を見るに、恰《あたか》も深山に入りたる後に塵飆《ぢんへう》の小都会に出《いづ》るが如き感あり。灼々《しやく/\》たる野花を見ず。磊々《らい/\》たる危巌を見ず。森欝《しんうつ》たる幽沢を見ず。一奇男児なる道也、其粉飾を脱し去れば、凡々たる遊冶郎。所謂心機霊活なる者も、左《さ》したる霊活にはあらざるなり。われは理想詩人なる露伴が写実作者の領界に闖入《ちんにふ》して、却《かへ》つて烏の真似を
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