を其或る一面相より観察する者なる故に、道也が「奇男児」を作りたる詩人の懐裡に宿りたるは無理ならぬ事なり。然れども道也は理想上の人物として、佐太夫と共に心機霊活の妖物として、遊廓内の豪傑として、粋の粋として、遂《つひ》に佐太夫程に妙ならず、理想家としての露伴が写実家なる紅葉のこの種の理想に於て少しく席を譲りたるを惜しむ。然れども元よりこの種の理想に於て優劣を較《かく》するの愚を、われ学ぶ者ならず、若し夫《そ》れ明治の想実両大家が遊廓内の理想上の豪傑を画くに汲々《きふ/\》し、我が文学をして再び元禄の昔に返らしむる事あらば、吾人の遺憾いかばかりぞや。
この両著書に於て二大家相|邇近《じきん》したりとは前に述べたる所なるが、偖《さ》て両著書の相邇近したる中心点は何処《いづこ》に存するや。言《ことば》を換へて云へば両著書が小極致とするところは、何《いづ》れにありや、何れにありて同致を見《あら》はすや。曰く、両書共に元禄文学の心膸を穿《うが》ち、之に思ひ思ひの装束を着けて出たるところにあり。或人は此書に於て露伴の文章|漸《やうや》く西鶴を離れて独創の躰を出《いだ》せりと言ひしが、文章に於ては或は然あらんかなれども、其想に至りては却《かへつ》て元禄を学ぶこと前の著述よりも多きに似たるを怪しむ。「伽羅枕」が紅葉の「一代女」にして、公けに元禄を代表する事、批評家既に言へり。われ二大家を以て元禄作家の摸擬者と貶する者ならず、別に天真の詩才ありて存すること我が深く二大家に信ずる所なるが、可惜《をしむべし》、此二書の世に出たるより、余をしてかねて元禄文学に面白からずと思ひしところを、此二書を通じて訴へ出づるの止むを得ざるに至らしめぬ。
そも元禄文学の軽佻《けいてう》なるは其章句の不覊《ふき》放逸なるが故のみならずして、其想膸の軽佻なるが故なり。謡曲時代の幽玄なる思想を見ざるのみならず、優美高妙なる精神を失ひたるのみならず、遊廓内に成長したるのみならず、是等の者を外《よそ》にしても、元禄文学が大に我邦《わがくに》文学に罪を造りたる者あり、其《そ》を如何《いか》にと言ふに、恋愛を其自然なる地位より退けたる事、即ち是なり。恋愛なる者は人生の秘機を説明すべき妖女にして、恋愛を除きたる暁には恐らく美術も文学も価なき珠となり果《は》つべけん、彼《か》の軽佻なる元禄文学は遊廓内の理想家とも言つべき
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