そのすぐ側で、お文が所々裏の赤いのが剥げてゐる鏡に向つて坐つてゐた。何處から持つてきたのか、白粉の瓶を、自分の掌に逆さに振つては、顏につけてゐた。源吉はさつきから一口も、誰にも、云はないでゐた。
「今度《こんだ》どんな手踊りがあるんだらう?」お文は鏡から眼を外さずに云つた。
源吉は聞いてゐなかつたのか、だまつてゐた。お文には、別に返事のいることでなかつた。自分で何か云ひながら、そのくせ鏡に全部氣を取られてゐた。返事を待つてもゐなかつたので、源吉のことには氣付かなかつた。
「石田の録さんが、浪花節をやるつて……。」
それから、一寸して、
「録さんの浪花節てどうだらう。きつとをかしいよ。」と云つた。
「お母アどこさ行つたべ――」
源吉はやつぱり、天井ばかり見てゐた。足を立てゝゐた。片方の足の上に上げてゐた足の指先だけを時々、動かした。無心で動かしてゐた。
「妾《わし》、お祭りさ行くツて云ふのに、お母どうしたべ――本當に。」
それでも自分は鏡から顏を離さなかつた。
「兄、お祭りさ行くべ?」
源吉は頭をユル/\※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]はしてお文の方を見た。お文は、鏡
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