の顏も見なかつた。見ようともしなかつた。
 踏切りを越すと、前方一帶が吹雪で、眞白い大きな幕でも降ろされてゐるやうに、何も見えなかつた。東の方から少しづゝ暗さがせまつてきてゐた。平野の一本道は、すつかり消されてしまつてゐた。防雪林の側を通つた時にはそれに當る粉雪と強風で、そこから凄みのあるうなり[#「うなり」に傍点]が響いてきた。そして、たゞ天も地も眞白いところに、ぼかし畫のやうに、色々な濃淡で、防雪林が、頭を一樣にふつたり、身體をゆすつたりしてゐるのが見えた。全く何も障碍物のない平野に出てしまつた頃、源吉の馬橇だけは一番うしろで、餘程遲れてゐた。それさへ、然し源吉は分つてゐないやうに見えた。
 源吉は齒をギリ/\かんでゐた。くやしかつた。憎い! たゞ口惜しかつた! たゞ憎くて、憎くてたまらなかつた。源吉は始めて、自分たち「百姓」といふものが、どういふものであるか、といふ事が分つた。――「死んでも、野郎奴!」と思つた――。源吉は、ハツキリ、自分たちの「敵」が分つた。敵だ! 食ひちぎつてやつても、鉈で頭をたゝき割つてやつても、顏の眞中をあの鎌で滅茶苦茶にひつかいてやつてもまだ足りない「敵
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