あり、戦争が始まってから特別に雇われて入ってきたということが分った。それからその男に注意していると、第一工場にも第三工場にも仲間がいるらしい。時間中でも台を離れて、他の工場に出掛けてゆくことがあった。注意していると、オヤジはそれを見ても黙っていた。それに最近は倉田工業内に以前からあった(あったが今迄何も運動していなかった)大衆党系の「僚友会」の清川、熱田の連中とも往き来しているらしいことが分った。
 おかしなことは、今迄何もしていなかった僚友会が此の頃少し動き出していること、第二には(それは何処から出ているのか、ハッキリは分らなかったが、)国家非常時のときでもあるし、重大な責任のある仕事を受け持っている我々は他の産業の労働者よりもモット自重し緊張しなければならない、そこで倉田工業内の軍籍関係者で在郷軍人の分会を作ろうではないかという噂さが出ていること。工場長などは賛成らしいが、それは特別に雇われた連中から出ているらしく、僚友会も一二のものがそれに助力していることは確かだった。たゞそういうことは会社が表に立ってやるのでは効果が薄いので、職工の中から自発的に出てきたという風に策略していることもハッキリしている。
「君の方はどうなんだ?」
と須山にきくと、彼は、自分の方にはまだハッキリと現われていないが、と一寸考えてから最近昼休みなどに盛んに戦争のことなどについてしゃべり廻って歩いている男がいると云った。「伊藤君の今の報告で気付いたのだが」と、彼は今迄は昼休みなどに皆の話題になるのは戦争の話だとか、景気のことなどだったが、それについては皆が何処かゝら聞いてきたことや、素朴な自分の考えやを得意になって一席弁じたてたり、又しょげ込んで話したりするのだが、気付いてみると、そういうのとはちがった、何処か計画的に、煽動《せんどう》的にしゃべり廻っている奴がいるらしいと云うのだ。――これでもってみると、向うが全面的にやり出していることは、最早《もはや》疑うべくもなかった。
 そして我々が彼等に勝つためには、敵の勢力の正確な、科学的な認識が必要だった。今彼等は自分たちが上から[#「上から」に傍点]従業員を無理\強《じ》いするだけでは足りないということ、又工場の往き帰りを警察の背広で見張りさせることだけでも足りないということを知って、第三段の構えとして職工たち自身の中から我々の組織の喰込みの妨害をさせることが必要であると考えているのだ。そのために僚友会が動き出しているし、工場の中に青年団や在郷軍人の分会の組織を押し広げようとしていることが分る。工場が工場なだけに(軍需品工場なので)これらの組織が作られ易い危険な条件をそなえている。私たちは今三方の路から、敵の勢力と対峙《たいじ》していると云わなければならない。
 須山によると、工場の中で戦争のことをしゃべり廻って歩いている遣《や》り方は、今迄のようにただ「忠君愛国」だとか、チャンコロが憎いことをするからやッつけろとか、そんなことではなくて、今度の戦争は以前の戦争のように結局は三井とか三菱が、占領した処に大工場をたてるためにやられているのではなくて、無産者の活路[#「無産者の活路」に傍点]のためにやられているのだ。満洲を取ったら大資本家を排除して、我々だけで王国をたてる。内地の失業者はドシ/\満洲に出掛けてゆく、そうして行く/\は日本から失業者を一人もいなくしよう。ロシアには失業者が一人もいないが、我々もそれと同じように[#「ロシアには」から「同じよう」まで傍点]ならなければならぬ。だから、今度の戦争はプロレタリアのための戦争で、我々も及ばずながら、その与えられた部署々々で懸命に働かなければならない、と云っていた。
 僚友会の清川や熱田は、今度の戦争は結局は大資本家が新しい搾取を植民地で行うための戦争であると云って、昼休みに在郷軍人や青年団の職工などゝ議論をした。ところが清川は、たゞ今度の戦争は他の方面ではプロレタリアのために利益をもたらしている例えば金属や化学の軍需品工場などでは人が幾ら居ても足りない盛況だし、それは所謂《いわゆる》「戦争株」の暴騰を見ても分る、(そして何処で聞いてきたのか)帝国火薬の株はもと四円が今九円という倍加を示しているし、石川島造船は五円が二十五円という状態になって居り、弾丸製造に使うアンチモニーは二十円前後の相場が今百円位になっている。更に、ドイツは世界戦争で負けて減茶々々になったと思っているが、クルップ鉄工場などは平時の十倍もの純益をあげている。それだけ又我々の生活もお蔭《かげ》を蒙《こうむ》るのだから、一概に戦争に反対したって始まらない、その限りで利用しなければならない、そういうのが彼等の意見だった。こゝへくると、はじめ青年団や在郷軍人と議論していても何時の間にか意見が合っていた。
 昼休みの様子をみていると、青年団の「満洲王国」の話は、何んだか夢のような、それは信じていいのかどうか、若しも本当だとすればいゝがという程度だったが、清川たちの話には臨時工などが賛成だった。戦争に行って死んだり、不具になったり、又結局「満洲王国」と云ったところで、そんなに自分たちのためになるかどうか分ったものでない、然《しか》しとにかく戦争があったゝめに自分達は長い間の失業からどうにか職にありつけたのである、だから仕事は臨時工だというので手当もなく、強制残業させられたり、又たゞ臨時工だからというので本工と同じ分量の仕事をしているにも拘らず賃銀が安かったりするのが不満だったが、とにかく戦争のお蔭《かげ》を蒙《こうむ》っていると考えていた。
 清川のように自分が少なくとも「労働者のための」政党である大衆党の一人であるということさえも忘れて、まるで資本家にでもなったようにその株の値段を心配してやったり、そのお蔭《かげ》のことを考えているような意見でも、職工たちの(殊に臨時工の)目先きだけの利益を巧みにつかんでいるのである。
 伊藤は、自分[#「自分」に傍点]や自分たちの仲間は、皆んなの前でそんな考え方の裏を掻いて、女工たちにちゃんと納得させるという段になると、下手《へた》だし、うまく反駁《はんばく》が出来ない。「歯がゆくて仕方がない」と云った。私は伊藤のこのことは本当だと思った。私たちは今度の戦争の本質が何処にあるかということは、ハッキリ知っている。然し自惚《うぬぼ》れなく、私たちはそのことをみんなに納得させること、つまりみんなの毎日の日常の生活に即して説明してやることでは、まだ/\拙《まず》いのだ。レーニンは、戦争の問題では往々にして革命的労働組合でさえ誤まることがあると云っている。そこへもってきて清川と熱田とかはモットそれを分らなくするために努力しているのだから、益々《ますます》むずかしい。
 会社では此頃五時のところを六時まで仕事をしてくれとか、七時までにしてくれとか云って、その分に対しては別に賃銀を支払うわけでもなかった。そんなことは此頃では毎日のようになっていた。臨時工などはブツ/\云いながらも、それをしなかったりすると、後で本工に直して貰《もら》えないかも知れないと云うので、居残った。が、六時迄やるとどうしても弁当を食わなければ出来ない。弁当代は出ない。すると六時迄仕事をするために、かえって一日の貰《もら》い分が減るという状態なのである。それは賃銀を下げるぞと云わずに、実際では賃銀を下げているやり方なので、みんなは「人を馬鹿にしてる」と云って、憤慨し出した。伊藤のいるパラシュートでは、六時まで居残りのときは「弁当代を出して貰《もら》わなければ、どうもならん」と、云っている。
 そればかりでなく、最近では働く時間が十時間なら十時間と云っても、もとゝはすっかりちがっていた。本工に組み入れられるかも知れないというので、みんなの働きは見違えるほど拍車がかけられていた。前には仕事をしながら隣りと話も出来たし、キヌちゃん式に前帯に手鏡を吊《つる》して、時々\覗《のぞ》きこむことが出来たが、今ではポタ/\落ちる汗さえ袖《そで》で拭《ぬぐ》う暇がない。パラシュートなどは電気アイロンを使うので、汗でぐッしょりになる。拡げたパラシュートに汗がポタ/\落ちた。――出来高からみると、会社は以前の四〇%以上も儲《もう》けていることが分った。それに拘《かかわ》らずもと通りの賃銀しか払わないのである。それは実際に仕事をしている職工たちにはよく分った。――が、みんなは自分の生活のことになると、「戦争」は戦争、「仕事」は仕事と分けて考えていた。仕事の上にます/\のしかぶさってくる苛酷《かこく》さというものが、みんな戦争から来ているということは知らなかった。だから、その結び付きを知らせてやりさえすれば、清川や青年団などの理窟《りくつ》をみんなは本能で見破ってしまう。
 以上のことから、細胞として、どこに新しい闘争の力点が置かれなければならないかゞハッキリした。清川や熱田などが臨時工のなかに持っている影響を切り離すために、みんなで「労働強化反対」とか「賃銀値上げ」とか「待遇改善」などを僚友会に持ち込ませる。そうすれば彼等は、色々な理窟を並べながら、結局その闘争の先頭に立つどころか、みんなを円めこんでしまう。それを早速つかんでみんなの前で、彼奴等味方ではないということをハッキリさせる。更に私たちは細胞会議の決議として、「マスク」の編輯《へんしゅう》で、工場内のファシスト、社会ファシストのバクロを新しく執拗《しつよう》に取り上げてゆくことにきめた。
 書きちらしの紙片《かみ》を一つ一つマッチで焼きながら、
「こう見てくると、向うかこッちかという決戦が段々近くなっていることが分るな!」
と須山が云った。
「そうだよ、彼奴等に勝つためには科学的に正しい方針と、そいつをどんな事があっても最後まで貫徹するという決意性があるだけだ。ファシスト連が動き出したとすれば、俺たち生命がけだぜ!」
 私がそう云うと。
「我々にとって、工場は城塞《じょうさい》でなくて、これア戦場だ!」
と、須山は笑った。
「それは誰からの切抜《スクラップ》だ?」
「オレ自身のさ!」
 ――その後「地方のオル[#「オル」に傍点]」(党地方委員会の組織部会)に出ると、官営のN軍器工場ではピストルと剣を擬した憲兵の見張りだけでは足りなく、職場々々の大切な部門には憲兵に職工服を着せて入り混らせていたという報告がされた。そこの細胞が最近検挙されたが、それは知らずに「職工の服を着た憲兵」に働きかけたゝめだった。そういう「職工」はワザと表面は意識ある様子を見せるので、危険この上もなかった。倉田工業は本来の軍器工場ではないので、まだ憲兵までにはきていないが、事態がもう少し進むと、そこまで行き兼ねないことが考えられる。



 時計を見ると未《ま》だ九時だった。それで少し雑談をすることにし、私たちは身体を横にして長くなった。私は伊藤の鏡台を見て、それが笠原の鏡台よりもなかなか立派で、黄色や赤や緑色のお白粉《しろい》まで揃《そろ》っているので、
「オヤ/\!」
と云《い》った。
 伊藤はそれと気付いて、
「嫌《いや》な人!」
と、立ってきた。
「伊藤は赤、青、黄と手をかえ、品をかえて、夜な夜な凄腕《すごうで》をふるうんだ。」
と須山が笑った。
「そら、そこに三越とか松坂屋の包紙が沢山あるだろう。献上品なんだよ。幸福な御身分さ!」
 工場で一寸《ちょっと》眼につく綺麗《きれい》な女工だと、大抵監督のオヤジから、係の責任者から、仲間の男工から買物をしてもらったり、松坂屋に連れて行ってもらったり、一緒に「しるこ屋」に行っておごってもらったりする。伊藤は見込のありそうな平職工だと誘われるまゝに出掛けて行ったし、自分からも勿論《もちろん》誘うようにしていた。それで彼女は工場には綺麗に顔を作って行った。然しそれは男工の場合も同じで、小ざッぱりした身装《みなり》と少しキリリとした顔をしていると、女工たちから須山の所謂《いわゆる》「直接\且《か》つ具体的に」附きまとわれた。
「ど
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