長い時間働かせられたら、たまったもんでないし、それにたまにあの人と二人で活動写真位は見たいもの、ねえ――」
 みんなが笑って、「本当よ!」と云った。
「それにはこんな日給じゃ仕様がないわ!」
「そう。少し時間を減らして、日給を増してもらわなかったら、恋も囁やけない[#「恋も囁やけない」に傍点]と来ている!」
「実際、会社はひどいよ!」
「私んとこのオヤジね、あいつ今日こんなことを怒鳴ったの、今はどんな時だか知っているか、戦争だぞ、お前等も兵隊の一部だと思って身を粉にして働かなけアならないんだ。もう少し戦争がひどくなれば、兵隊さんと同じ位の日給でドシ/\働いてもらわなくてはならないんだ。それが国のためだって。――ハゲッちョそんなことを云ってたよ!」
 これには伊藤も吃驚《びっくり》してしまった。「恋を囁やく」話が伊藤さえもがそれと気付かぬうちに、会社の待遇の問題に入って行っているのだ。このところサクラまであっけ[#「あっけ」に傍点]にとられた形だった。話はそれから少しの無理押しつけというところもなく、会社の仕打ちに対する攻撃になった。
 私はその話を伊藤から聞き、本当だと思った。戦争が始まってから労働強化は何処でもヒドクなっているのだが、同一の労働(或いは同一以上の労働)をしているにも拘《かかわ》らず、女工に対する搾取は急激に強まっている。今では全く「恋を囁《ささ》やく」ということさえも、その経済上の解決なくしては不可能になっている。それを皆はそういう言葉としてではなしに感じているのだ。
 伊藤は最近この連中を誘って、何か面白い芝居を見に行くことになっていた。伊藤や辻や佐々木は、皆が浅草のレヴューか片岡千恵蔵にしようと考えているので、それを「左翼劇場」にするためにサクラでアジることになっている。
 私は伊藤の報告のあとでそのグループに男工[#「男工」に傍点]をも入れること、それは須山と連絡をとってやればそんなに困難なことではなく、一人でも男工が入るようになれば又皆の意気込がちがうこと、もう一つの点はそのグループを臨時工ばかりにしないで本工[#「本工」に傍点]を入れるようにすること、このことが最も大切なことだ、と自分の考えを云い、彼女も同意した。
 それから私達は六百人の首切にそなえるために、今迄《いままで》入れていたどっちかと云えば工新式のビラをやめて、ビラと工場新聞を分けて独立さすことにした。
 須山に工新の題を考えて置けと云ったら、彼は「恋のパラシュート」としてはどうだ、と鼻を動かした。
 工新は「マスク[#「マスク」に傍点]」という名で出すことになった。私は今工場に出ていないので、Sからその編輯《へんしゅう》を引き受けて、私の手元に伊藤、須山の報告を集め、それをもとにして原稿を書き、プリンターの方へ廻わした。プリンター付きのレポから朝早く伊藤が受取ることになっていた。私は須山、伊藤とは毎日のように連絡をとり、工新の影響を調らべ、その教訓を直ぐ「マスク」の次の編輯に反映さした。
 伊藤や須山の報告をきいていると、会社の方も刻々と対策を練っていることが分った。今では十円の手当のことや、首切りのことについては不気味なほど何も云わなくなっていた。それは明かに、何か[#「何か」に傍点]第二段の策に出ているのだ。勿論それは十円の手当を出さないことや、首切りをウマウマとやってのけようとするための策略であることは分る。がその策略が実際にどのようなものであるかゞハッキリ分り、それを皆の前にさらけ出すのでなかったら、駄目だ。相も変らず今迄通りのことを繰りかえしているのならば、皆は我々の前から離れて行く。我々の戦術は向うのブルジョワジーのジグザッグな戦術に適確[#「適確」に傍点]に適応して行かなければならない。私たちの今迄の失敗をみると、最初のうちは何時でも我々は敵をおびやかしている。ところが、敵が我々の一応の遣《や》り方をつかむと、それの裏を行く。ところが我々は敵が一体どういう風にやろうとしているのかという点を見ようともせずに、一本\槍《やり》で同じようにやって行く。そこで敵は得たりと、最後のどたん場で我々を打ちやるのだ。
 さすがに伊藤はそれに気付いて「どうも此の頃変だ」という。然しそれが何処にあるのか判らない。
 次の日須山は小さい紙片を持ってきた。

      掲示

  皆さんの勤勉精励によって、会社の仕事が非常に順調に運んでいることを皆さんと共に喜びたいと思います。皆さんもご承知のことゝ思いますが、戦争というものは決して兵隊さんだけでは出来るものではありません。若《も》しも皆さんがマスクやパラシュートや飛行船の側を作る仕事を一生懸命にやらなかったら、決して我が国は勝つことは出来ないのであります。でありますから或《ある》いは仕事に少しのつらいことがあるとしても、我々も又戦争で敵の弾《たま》を浴びながら闘っている兵隊さんと同じ気持と覚悟をもってやっていたゞき度《た》いと思うのです。
  一言みなさんの覚悟をうながして置く次第であります。
                                       工場長

「我々の仕事は第二の段階に入った!」
と須山は云った。
 工場では、六百人を最初の約束通りに仕事に一定の区切りが来たら、やめて貰《もら》うことになっていたが、今度方針を変えて、成績の優秀なものと認めたものを二百人ほど本工に繰り入れることになったから、各自一生懸命仕事をして欲しいと云うのだった。そしてその噂《うわ》さを工場中に撒《ま》きちらし始めた。
 私と須山は、うな[#「うな」に傍点]った。明らかにその「噂《うわ》さ」は、首切りの瞬間まで反抗の組織化されることを妨害するためだった。そして他方では「掲示」を利用し、本工に編成するかも知れないと云うエサで一生懸命働かせ、モット搾《しぼ》ろうという魂胆だったのである。
 須山はその本質をバク露するために、掲示を写してきたのだった。これで私たちは会社の第二段の戦術が分った。
 私と須山と伊藤は毎日連絡をとった。が、連絡だけでは精密な対策が立たないので、一週に一度の予定で三人一緒に「エンコ」(坐ること)することになっていた、その家の世話は伊藤がやった。須山と伊藤は存在が合法的なのでよかったが、私が一定の場所に二時間も三時間も坐り込んでいることは可なり危険なので、細心の注意が必要だった。私は伊藤と街頭連絡で場所をきゝ、その周囲の様子をも調らべてみて安全だと分ると、彼女と須山に先に行ってもらって、私は別な道を選んで其処《そこ》へ出掛けることにしていた。私はそこへ行っても直《す》ぐ入らずにある一定の場所を見る。その家に異常がないと、その場所に伊藤が「記号《しるし》」をつけて置くことになっていたからである。
 昼のうちむれ[#「むれ」に傍点]ていたアスファルトから生温かい風が吹いている或る晩、私は須山と伊藤に渡す「ハタ」(機関紙)とパンフレットを持って家を出た。その夜はエンコすることになっていた。途中まで来ると、街角に巡査が二人立っていた。それからもう一つの角にくると、其処には三人立っている。これはいけないと思った。もの[#「もの」に傍点]を持っているので、今日の会合をどうしようかと思った。そう思いながら、まだ決まらず歩いていると、交番のところにも巡査が二三人立っていて、驚いたことには顎紐《あごひも》をかけている。途中から引ッ返えすことはまず[#「まず」に傍点]かったが、仕方なかった。私は一寸《ちょっと》歩き澱《よど》んだ。すると、交番の一人がこっちを見たらしい、そして私の方へ歩いて来るような気配を見せた。――私は突嗟《とっさ》に、少しウロ/\した様子をし、それから帽子に手をやって、「S町にはこっちでしょうか――それとも……」
と、訊いた。
 巡査は私の様子をイヤな眼で一《ひと》わたり見た。
「S町はこっちだ。」
「ハ、どうも有難う御座います。」
 私はその方へ歩き出した。少し行ってから何気なく振りかえってみると、私を注意した巡査は後向きになり、二人と何か話していた。畜生め! と思った。そして私は懐《ふところ》の上から「ハタ」や「パンフレット」をたたいた。「口惜しいだろう、五十円\貰《もら》い損いして!」
 私は万一のことを思い、とう/\家へ帰ってきた。次の朝新聞を見ると、人殺しがあったのだった。私たちはよく別な事件のために側杖《そばづえ》を食った。が、彼奴等はえ[#「え」に傍点]てそんな事件を口実にして、「赤狩り」をやったのだ。現に彼奴等はその度毎に「思わぬ副産物があった」とほざい[#「ほざい」に傍点]ているのがその証拠だ。Sによると、外国の雑誌に、日本では夜遅く外を歩く自由も、喫茶店で無理矢理な官憲の点検を受けずには、のんびりと話し込む自由[#「自由」に傍点]もないと書いてあるそうだが、それは本当だ。そしてそれは特に我々への攻撃のためである。
 私は常に新聞に注意し、朝出るときとか、夜出るときは、自分の出掛ける方面に何か事件が無いかどうかを調べてからにした。殊に今迄逃げ廻わっていた人殺しとか強盗が捕ったりした記事は隅《すみ》から隅まで読んだ。その時には自分の取っている新聞ばかりでなく、色々な新聞を笠原に買わして、注意して読んだ。ある時七年間隠れていたという犯人の記事などは多くの点でためになった。私は毎朝の新聞は、まずそういう記事から読み出した。
 ――私は今一緒に沈ん[#「沈ん」に傍点]でいるSやNなどの間で、「捕かまらない五カ年計画」の社会主義競争をやっている。それは五カ年計画が、六カ年になり七カ年になればなる程、成績が優秀なので、「五カ年計画を六カ年で[#「五カ年計画を六カ年で」に傍点]!」というのがスローガンである。そのためには、日常行動を偶然性に頼っていたのでは駄目なので、科学的な考顧の上に立って行動する必要があった。笠原は時々古本屋から「新青年」を買ってきて、私に読めと云う。私もどうやら時には探偵小説を、真面目《まじめ》に読むことがある。
 次の日、定期の連絡に行くと、須山は私を見るや、「よかった、よかった!」と云った。彼は私が(私は約束を欠かしたことがないので)やられたものとばかり思い、実は君の顔を見るまで、悪い想像ばかりが来て弱っていたと云うのである。私は昨日の側杖《そばづえ》を食ったことを話した。そして、
「五カ年計画を六カ年で、じゃないか!」
と、笑った。
「それはそうだが……」
 昨日私が「人殺し」の側杖をくって「エンコ」が出来なかったので、須山は今日それが出来るように用意してきていた。場所は伊藤の下宿だった。彼女はこゝ一二日のうちにそこを引き移るので、下宿を使うことにしたのである。下宿人が七八人もいるので、条件はあまり良くはなかった。私は若し小便が出たくなったら、伊藤が病気のときに買って置いた便器を使って、便所へ降りて行かないことにした。便所で同居の人に顔を合わせ、若《も》しもそれが知っている人であったりしたら大変である。
 私は二人に「そっちを見てろよ」と云って、室の隅ッこに行き、その硝子《ガラス》の便器に用を足した。伊藤は肩をクッ/\と動かして笑った。
「臭いぞ!」
と、須山は大げさに鼻をつまんで見せた。
「キリンの生《なま》だ!」
 私は便器を隅の方へ押してやりながら、そんなことを云って二人を笑わせた。
 倉田工業はいよ/\最後の攻勢に出ていることが分った。それは例えば伊藤の報告のうちに出ていた。伊藤と一緒に働いているパラシュートの女工が、今朝入った「マスク」の第三号を読んでいると、四五日前に新しく入ってきた男工が、いきなりそれをふんだくって、その女工を殴《な》ぐりつけたというのである。「マスク」やビラが入ると、みんなはオヤジにこそ用心すれ、同じ仲間には気を許す。それでうっかりしていたのであった。それを見ていた伊藤はどうも様子が変だと思い、その男を調らべてみることにした。あとで掃除婦から、その男工はこの地区の青年団の一員で在郷軍人で
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